空色動画2巻の感想と「この漫画は何故面白いのか?」の話


「やってやるう!!文化祭成功さすんだっ」

空色動画(2) (シリウスKC)

空色動画(2) (シリウスKC)

 
 あ、1巻の時感想書いてなかったですねコレ。実は1巻読んだときは確かに面白かったけれど、激しく心揺さぶられるほどじゃなかったんですよ。

 しかし2巻を読んでようやく、「ああそうか、これはこういう漫画なのか」と遅まきながら腑に落ちた次第。そのため、2巻からは格段に面白く読めました。主役の3人にがっつり感情移入しちゃって、2巻後半の某シーンでは正直言ってクソ泣きましたわ。

 藤田和日郎先生の元アシ組で「ジョーさんは中々芽が出ないなー」なんてエラソーかつ失礼な事思ってましたが、何の事は無い。既にここまでのごっつい漫画力をつけていたとは。「うしおととら」をリアルタイムで読んでた世代としては、何かもう感慨深いです。


 さて作品のほうに話を戻して。

 内容は女子高生達が自主制作でアニメを作るお話。主役は引っ込み思案でアニメ好きなヤスキチ、天真爛漫でパワフルな帰国子女ジョン、バンドが趣味でデザインセンスと男気があるノンタの3人。
 ヤスキチが描いたパラパラ漫画がきっかけでジョンが「アニメを作ろう!」と言い出し、ノンタはそれに巻き込まれつつも実はノリノリでアニメ作りにハマっていく、というのが1巻までのお話。

 2巻では文化祭でアニメ上映をやろうという事になり、クラス全体を巻き込んでアニメを作り始める事になります。

 要は、邦画でいう所の「スイングガールズ」とか「リンダリンダリンダ」のような、女子をメインに据えた元気で明るい青春部活物の類です。それらの映画での「音楽」を「アニメ」に置き換えた舞台設定と思っていただければ、雰囲気は伝わるでしょうか。


 ここでまたぶっちゃけた話をしてしまいますと、正直に言って片山ユキヲ先生は強烈に絵が巧いわけではないと思います。アシ歴が長かったせいか背景や擬音、構図の取りかたなんかは非常に堂に入ってるのですが、例えば「おお!」と思う表現方法やキュンと来るような萌え表情はこの漫画には出てきません。良く言えばスタンダード、悪く言えばどこにでもある絵。

 さらに言うなら、「ウォーターボーイズ」のヒット以降、青春部活系の映画や漫画は最早珍しいものではありません。この「空色動画」の舞台設定も、その文脈で言うなら取り立てて予想外なものではありません。


 なのに何故だろう。こんなにも面白い。こんなにも熱くなる。


 1巻のオビで師匠である藤田先生も「なんだろう。笑って読んでたのに、じんとした。夏空の下、女の子達がアニメ作ってるだけなのにさ」と言っています。
 
 そう、1巻の時点では本当に面白さの理由がわからないんですよ。アニメという媒体の面白さ?皆で何かを作る事の楽しさ?確かにそれらも面白さの大事な要素なのだけれど、背骨では無いような気がしていました。


 で、2巻のこのシーン以降を見てやっと「何故この漫画が面白いのか」に自分なりの答えを出す事が出来ました。
 
 <以下ホンの少しネタバレ含みますのでサラで読みたい人は注意>


 


 こちらはヤスキチがアニメの原画を描くシーン。左がジョンの描いた自キャラで、右はノンタのキャラ、中央が描き手であるヤスキチ。ヤスキチがこれから二人のキャラを動かそうとしているのを、演技指導に喩えて描いているシーンです。

 実はこの直前にジョンとノンタがケンカ別れして三人がバラバラになっているという状況。ヤスキチは二人が戻ってくると信じ、自分の部屋で一人で原画を描いています。ところがヤスキチが二人のキャラに話しかけても、キャラ達は全然動いてくれません。それどころかさっきのケンカを繰り返し始める始末。
 そこでヤスキチは気付きます。二人のキャラは単なるアニメのキャラじゃなくて、ジョンとノンタの移し身そのものとして自分が認識している事に。アニメの進行よりもずっとずっと大事な友達が悲しくもケンカ別れしている事に。

 そうしてヤスキチは二人を仲直りさせるために夜の町へ駆け出すのです。(このあたりのシーンは物凄く良いので、例によって画像引用しません)


 で、このくだりって名場面でもあると共に、「アニメとは何か」と「何故この漫画が面白いのか」を同時に説明していると思うんですよ。


 まず「アニメとは何か」ですが、実はこちらは1巻の冒頭でヤスキチがアニメーションの意味についてクラスメートに話す場面でも言及されています。

 
 
 そう、アニメってのは元々キャラに命を吹き込む事。さっきのヤスキチが原画を描くくだりでも、ヤスキチがジョンとノンタのアニメキャラに現実世界の二人の心を入れてしまったから、キャラはヤスキチの思い通りに動かなかったのです。


 では次に「何故この漫画が面白いのか」ですが、これもやはり先程と同じロジック。つまり「片山先生の手によって、ヤスキチ・ジョン・ノンタというキャラ達にきちんと命が吹き込まれているから」。さんざ述べといてそんなありきたりの理由かい、と思うかも知れないけれど、まアちょいと待ちねえ*1

 このへんは感覚の問題になっちゃうのでアレですが、自分も年間でそれなりの冊数の漫画を読んでいるのにもかかわらず、実は「血が流れているキャラ」に出会う事はそんなに多くありません。
 
 漫画を読んで「ストーリーが斬新だ」「設定が面白い」「ギャグが切れる」「萌える」「考えさせられる」という感想を抱く事は良くありますし、それはそれで「面白い漫画」なのですが、キャラに生命を感じるかといったらそれはまた別の話。

 また感覚的な物言いになってしまいますが、漫画の中のキャラをスクリーンの中の役者として見るか、人間として見るかの違いとでも言いましょうか。

 「生きているキャラ」はよりリアルの人間に近く感じる為に非常に感情移入しやすく、たとえそれがどんな設定であれ絵であれ*2、物凄く面白く読む事が出来ます。では何故こんなに生きたキャラが描けるのでしょうか。

 これは推測になってしまいますが、片山先生の漫画の描き方ってのは「ドラマありき」じゃなくて「キャラありき」なんじゃないかと思います。漫画ってのは「物語」ですから、つい魅せ方とか展開を重視してしまいがちですが、片山先生は多分凄くキャラを大事にしてます。もう三人娘が好きで好きでタマランのじゃないでしょうか。だから彼女達が言わなそうな事は絶対に言わせませんし、やらなそうな事は絶対にやらせません。つまり物語展開のコマとしてキャラを使うんじゃなくて、キャラと舞台設定を与えたらこんな話になりました、という作り方をしているような気がします。
 
 しかもそれが変に受け狙いだったりパロだったりしないで、真っ直ぐ丁寧に描いてるから読んでて気持ちいい。


 そんなわけで本当にキャラが活き活きしてて、楽しいも哀しいも画面から目いっぱい伝わってくる良作。表紙絵とかパラ読みではわからない、しっかりスジの通った面白さを持った漫画です。オススメ。

 
 
 

*1:何故急に江戸っ子?

*2:他意はありません。誤解なきよう