シン・ゴジラ 感想

 

 やっとシン・ゴジラ観ましたので1年半ぶりにブログ更新です。
だってこんだけ面白い映画観といて感想書かないなんて事ができるか?ハッ!そいつは無理な相談だな。面白いものを見たり読んだりしたら「あー面白かった!」と言う。それが受け手の務めですから。

というわけでひっさしぶりにだらりと感想書いていくですよ。


以下注意事項。読まねば死。
■当然ネタバレ全開で書いてます。未見の人は映画館へ全身全霊マッハGO。

■以下はあくまでも感想です。多少分析めいた事も書きますが、別に論争したいわけでは無いので、浅慮なオタクの妄想と捉え、鷹揚のご見物をお願いいたします。



ではゴー。



 いやーしかし、語りたくなる物を作るのはやっぱり庵野さんの得意技だなー。


 ちなみに私は怪獣映画をそんなに観てないです。初代ゴジラも観てないし、そもそもゴジラ映画自体TVでやったのをチラ見したかしないかくらい。あ、でも平成ガメラ3部作は好きです。特にガメラ3。そんなレベル。

 でも今回のシン・ゴジラ庵野さんが総監督で、ガメラシリーズにも関わってた樋口さんが監督って事で興味はあったんですよ。そしたらツイッターのTLで面白い面白いってわっちゃわちゃ流れてきて、これはもう是非行きたいと。というわけでこの盆休みの間にやっと観てきたわけです。そしたらどうですかお客さんそうですかお客さん。もう個人的に俺のツボ押しまくりの超絶面白い映画じゃないですか。観終わった後、脳が痺れる感じがする。「あはは、うん、ぼくこれすきー」くらいしか言えないアホ具合になりましたわ。

では以下箇条書きでざらーっと。だいたい時系列。思ったことを挟んでく感じで。


【冒頭〜一次上陸】
・冒頭イイねえ。ボートばしゃーん!トンネル崩落ドドド!開始即何かヤバい事発生!ワーニンワーニン!
これ良いスピード感です。
確かギャラリーフェイクの中で「映画は冒頭10分がダメならすべてダメ」みたいな台詞ありましたけど、自分もそれ賛成派です。
映画は2時間の旅なので、アタマから引きずり込んでほしいのよ。


・再度の矢口の「巨大不明生物と思われます」「おいやめろ」にタイミング合わせて「尻尾だ」「尻尾だな」のシーン。前半にはこの手の漫才みたいなフリオチが多くて楽しい。
「上陸しません」⇒「えっ蒲田に!」もそう。
一番可笑しかったのが「えっ動くの?」⇒「そりゃ生き物だからな」のくだり。


・俗称第2形態、キモ可愛いを通り越してキモキモ可愛いやっぱりキモい。ラブカっぽい。完全に話通じない感じがもうたまりません。
「あっこれ無理。コミュニケーション無理」みたいなイキフンが全身からみなぎっています。ナイス造形。
ところでエラから血ぃバシャ―してたのは何でしょうか。肺呼吸に変わっていく段階の組織剥落?


・立ち上がった所が第3形態なんでしょうけど、そうなると第一形態は?海の中にいた尻尾だけ映った時の事か。全体像はどうなってたんでしょうね。やっぱサメっぽいんでしょうか。


・第3形態になったゴジラに「すごい。まるで進化だ」と矢口。
いままさにそいつが大量の死をもたらしているのに、その圧倒的な力に感嘆を漏らす所が人間の業を表していて良い。とても良い。


尾頭ヒロミさん、早口仏頂面不愛想で正鵠を射る。良いじゃあないか。


・噂では聞いていたが、会議シーン多い。でも緊張感あるし話が前にギュンギュン進んでいくので全く退屈ではなかった。
本当に密度の高い作り方をしていたが、聞き取れない台詞やわからない単語があってもストーリーの進行には影響がない。巧いなあ。


・何かさらっと海に帰っていくゴジラ。陸上で暴れすぎたんでクールダウンしに行ったようです。
というか、第4形態になるためには多分結構エネルギーを使う=熱を発散するので、効率の良い水冷で、と思ったんでしょうね。



【幕間】
・そして日常的に動き出す東京。走る通勤電車(京急のぞく)、通学する人々。
ここリアリティあるなー。だって戻ってくるかどうかわからないデカい生き物の為に日常を捨てられない、あるいは日常が続くと信じるのは予想される心の動きだもの。
で、当然その逆で蒲田から離れた地域でも逃げた人もいるでしょうし、ウチも川の近くだからと地方へ避難した人も相当数いるでしょうが、その辺は描かれません。
シン・ゴジラで面白いのは、非常にしばしばそういう「描かない」という手法を取っている事。
「ん?これおかしくない?」という場面でもちょっと裏を考えると「ああそうか」とわかるようになってます。逆に表層のみ捉えていると話を「ご都合主義」「リアルでない」と読み違える。
このへんはテーマに関わる事でもあるので後述します。キーワードは「描かない」。


・あ、ちなみに「リアル」と「リアリティ」は区別してます。
「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」という惹句の通り、当然映画は虚構。リアル(現実)ではない。
何でもかんでもリアルに忠実に作ればいいというわけでは無い。虚構を通じて現実に生きている我々に何かを投げかける。それが創作の意味の一つだ。



【二次上陸〜VS自衛隊
・で、鎌倉に第4形態が出現。デカアアアアアアアアアいッ!説明不要ッ!何かもう絶望的なデカさ。
建造物をなぎ倒すかと思いきや、屋根のはるか上を通過していく尻尾や通り過ぎる車からの視点でとにかく「デカいゾ!」と訴え続ける画面。
は?え?コレ倒せるの感が湧き上がる。


・で、東京には入れさせん!とばかりに自衛隊VSゴジラ。10式戦車にアパッチにF2。ふッはー!たまらねえ!10式の超信地旋回直後の砲撃とかもう完全に御馳走じゃないですか…。


・でも全然効かないゴジラさん。超固えラスボス。STGなら超クソゲー。ムクムク膨らんでいくマジでコレ倒せるの感。


・大河内首相の判断が早くなっていくのが良かった。しかも段階をきちんと見せて。
最初は「今決めるの?聞いてないぞ」からの決断。次は普通にすぐ決断。その次には花森さんに聞かれる前に「これより、武器の無制限使用を許可します」と、どんどん早くなる。
危機が人間を磨いていく。おそらくはこの映画のテーマの一つである「進化」を端的に表すキャラだったと思います。



【首都防衛戦〜ゴジラ一時停止】
・都内に進行するゴジラ。うわー、夜はやめろよ夜は。こえーじゃねーか。絶望感が増すじゃねーか。
闇+未知のもの+大きな音+周囲の恐怖という、およそ生き物が根源的に怖がるものをサラダボウルに山盛って提供してきやがった。なんて映画だこんちきしょう。グッジョブ。


・で、米軍の攻撃。協力要請をする前に基地を発ってるあたりがリアリティあるなあ。
要請されたらすぐ攻撃できるようにって事でしょ?こういう所が細かくて好きです。


・米軍B2からのMOP?でバシャーン!やった!攻撃効いた!これで勝つる!
…と思ったら来ましたよアレが。
体色変化からの煙バーッからの炎ボーッからのビームシュキイイイーーンですよ。なんだこのチート生物。強すぎて萎えるわ。
個人的には一番好きな演出シーンがコレ。淡い希望が絶望に変わる落差。そしてひたすらに凄い映像と音楽のコンボに酔いしれる。もう最高。もう堪らない。このシーンだけでどんぶり飯食えるわ。


・あと背中ビームも堪りません。アホかっけえ。


・首相がまた一番ヤバいタイミングで離陸のち殉職。南無。本当容赦ねえなこの映画。


・で、ガス欠で停止するゴジラ。「あ、わし火吐けたわー」と気づいたまでは良かったが、その後の事まで考えてなかったんでしょうか。


・泉ちゃん再登場。矢口と泉の絡みが良いなあ。「まずは君が落ち着け」とか「幹事長をやる心の準備はできている」とか。おそらくは長い付き合いで、かなり良い関係であろうというのが端々から読み取れます。


シン・ゴジラは人間ドラマがほとんど無い、という話は聞いていましたが、会話劇として抜群に良く出来ていると感じました。関係性やバックグラウンドを描写としては描かず、会話だけでその人とその人の関係をなんとなくわからせるのには、台詞をグリグリに練り込まなきゃならないんですよ。しかもこれだけ密度の高い映画の中でそれを伝えるには、一言一句一秒たりとも無駄には出来ません。mm単位でカメラワークにこだわった、という話は聞きましたが、おそらく台詞にも相当にこだわったと思います。


・外遊に出ていてちゃっかり首相になる平泉さんもとい里見農林水産大臣。この人も最初はボンクラと思わせておいて最後はちゃっかり美味しい所を持って行くのが憎いですね。核攻撃が決まった時の「すべての権限を首相へ」という話は、当然「ゴジラ関係の責任は全部俺が被るよ。核も含めて」という話。


・東京への核攻撃の事を聞いた嶋田久作が「酷すぎましゅ!」と言うのがまた面白い。アナタ帝都物語で東京メッタメタにしようとしとったやないですか。こういう小ネタがちりばめられていて良い。


・確かこの辺でカヨコが矢口にデレてましたね。「ガッズィー…ゴジラは」とか言って。カヨコはんはね、何か巷では「リアリティーがない」とか「英語が下手」とか言われてますが、いいんですよこれで。エヴァのアスカと同様、天才帰国子女的なキャラは庵野さんの趣味ですから。それこそ「私は好きにした」って奴です。藤田和日郎先生がついメーテルっぽい「永遠を歩く女」を描いてしまうのと同じです。



ゴジラ再稼働〜ヤシオリ作戦
・牧博士の残した図面の謎も解け、いよいよヤシオリ作戦スタート。泉ちゃんと里見首相のやり取りがまた良い。「覇道ではなく王道を行くべき」という話。赤坂の「そろそろ好きになさっては」というのもまた効いている。そう、日本にはまだ「王道」が生きている。たとえそれが建前だろうが形式美だろうが、残っている以上は好きに選ぶ事が出来る。当然米国を「覇道」と位置付けて、の話なのがまた痛烈な皮肉。


・この辺でゴジラが無性生殖(分裂)する話が出てきてました。強いうえに分裂。群体化小型化有翼化と縁起でもない単語がズラズラと。これラストシーンへの布石ですよね。


・作戦前。防護服を着て居並ぶ参加者達を前に、矢口が一席ぶつシーン。ここがイイ。とてもイイ。個人的にはこれが多分庵野さん樋口さんの言いたかったテーマじゃないでしょうか。「どうかみなさん!日本を頼みます!」と叫ぶ矢口の後ろに両カントクが居る気がした。この映画を見たあなたたちは、どう「好きにする」のか?という問いかけであり願い。アツいです。


・で、ゴジラ再稼働。ここから怒涛の攻め。人類の反撃。ここからのカタルシスがまた堪らないよねえ。


・新幹線N700爆弾からの無人機攻撃&ビル倒しで転倒、のちに凍結剤チューチュー。引き倒すまではとことん派手に、引き倒してからは地味に注入。この手堅さが非常に日本的。良きかな。


・また動き出すゴジラ。そして飛び出す無人在来線爆弾。2016年度の流行語大賞すら狙えるパワーワード無人在来線爆弾。まるで今まで怪獣たちに蹂躙されてきた電車が怨念と火薬を詰め込んで走っているかのようにゴジラの体にまとわりついてドッカーン。みんな政治的とか現代のリアルシミュレーションとか言ってるけど、シン・ゴジラの核はやっぱりこういう外連味溢れる演出ですよ。こういうのでいいんだよこういうので。無人在来線爆弾の味って男の子だよな。


・あと余談だけど「凍結剤の量がギリギリ過ぎィ!」とか「無人在来線もゴジラがたまたま線路にいたから使えた。ご都合主義過ぎ」とか言う感想を見かけましたが、自分としては凍結剤は「ゴジラを凍結するのにギリギリではなく、作戦を遂行するのにギリギリの量」つまり途中で注入失敗しても余裕のある量だったと思うし、なんなら無人はとバス爆弾も地獄の無人殺人トラック爆弾も用意されていたと思うし、もっと言うならメトロ爆破して落とし穴でズッコケさせる用意とかもしてあったと思うんですよ。というのも尾頭女史が途中で言った「ヤシオリ作戦の確度を上げるだけです」という言葉通り、ヤシオリ作戦は猶予期間の360時間を使ってとにかく練りに練り倒された作戦のはずですから。ゴジラがこう動いたらこう、こうレーザーを吐いたらこう、というシミュレーションを、スパコンと人間が吐くほどやりつくしていると考えて良いと思います。


・でまた凍結剤チューチューでやっとカチコチのゴジラ。勝った・・・というかどうにかこうにか凌いだ感じ。


・そしてラストにアップになる尻尾。…何コレ。人間の骨?でも背びれもあるように見えます。自分としてはこれはゴジラ第5形態と解釈しました。進化出来るゴジラは人間コワイ・強いと思った。そして人間を真似た。一個体であるより、複数個体(群体)となって生存確率を上げられるように進化したのでは?
 
 ゴジラは協議して協力して最適解を出す人間の、真似をしたと考えられます。水と空気だけで生きられて、レーザーを吐いて、しかも人間より賢い。そんな人型ゴジラが出来る前に凍結できたのか、それとも既に数匹生まれてしまったのか。中々にゾクゾクするオチです。



【全体を通じて】

以下、全体を通じて思ったことをダラダラと。


・自分の解釈では牧教授は自殺。プレジャーボートの中の靴がそろえてあるのは自殺の明示かと思われます。で、何で死んだのか。牧教授は妻を死に追いやった放射能=核エネルギーを使い続ける人間を憎んでいた。そして同時に信じていて、日本を試すことにした。折り紙という日本的なヒントを与えたのもその為。あるいは折鶴はヒントであると共に、発生するであろう犠牲者への祈りの意味もあったかも知れない。
そしてゴジラを進化させるために、人間を含めた様々な遺伝情報をゴジラに与えた(ゴジラが人間の8倍の遺伝情報を持っているのはそのため)。放射性物質に耐性のある深海生物を進化させることで陸上に上げ、日本+米国がどうするかを選択させた。それが「私は好きにした。君たちも好きにしろ」という話。…というのが自分の解釈。


・あとゴジラを核でふっとばそうとした所を見ると、米国は既に第二のゴジラを手に入れている、あるいは途中まで作れる算段がついている、と思って良いかと思われる。なぜならエネルギー問題が解決できる新元素を作る事が出来る生物を、あの国があっさりチリにしてしまうわけがないからだ。


・あと、途中で少し書いた「描かない」物語の話。確かにこの映画は人物の背景を極力描きません。演出や設定をギチギチに詰め込み、群体(人間)VS個体(ゴジラ)の競り合いを徹底して魅せる為でもあろうが、おそらくは「裏や脇を想像させる」事を観客に強いているのだろうと思われます。強いている、が言葉として強すぎるなら、勧めている、と言い換えても良いかも知れません。というのも、所々で書いた通りこの映画はちょっと突っ込んで考えると色々見えてくる構造になっています。
 
 たとえば人間同士の関係性であったりとか、作戦の緻密さとか。でもこれって現実に近いんですよ。だいたいの映画は親切です。登場人物の家族を描いて、生い立ちや立場を描いて、性格を描いて、行動原理を描いて、主人公に感情移入させたり、悪役を憎ませたりします。丁寧に、時にはお節介なほどに、状況を整えていき、ストーリーを展開します。でも現実は違う。仕事でも初めて会った人がどんな人かもわからないまま、仕事はどんどん進んでいきます。でも相手の性格や行動を理解しなければ、仕事はスムーズに進みません。だから相手の内面を想像したり情報を集めたりして、努力して相手を形作っていきます。

 現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)の言葉通り、この映画の中でゴジラ以外は現実の現身になってると思います。それは「現実と同じくらいリアル」という意味ではなくて、「現実と同じくらい不親切」という意味において。現実で我々は考え続ける日々を送っている。では虚構(映画)では?虚構では描かれていないと、親切でないと満足できないか?そうではない。映画の中でも、現実と同じような気構えで捉え続ければ、必ずわかるようになっている。


・そう考えると、単なる「日本がんばれ」では無い事が浮かび上がってくる。この映画は、『人間は「考える生き物」であり、考えることをやめた時に「好きにする」事さえ出来なくなる。だからもっと、考えよう。天災も人災もあるけれど、思考し変化し続ける=進化する群体=人間ならば、何とかできるさ』というメッセージを伝えたいのではないか。ちょっと大袈裟かも知れないが、そう思えてくる。
 
 思えば、エヴァンゲリオンは一人の少年が存在意義を確立するという、世界への帰還の物語であった。そして世界に居場所を見つけた「個」が何をすべきか。

 シン・ゴジラはその解を示した、20年越しのアンサーソングなのかもしれない。


・なんだかんだ言って一言の台詞も無い牧教授が一番人間臭い。それが堪らなくイイ。彼にとって人間は憎むべき対象であると同時に愛しいものでもある。何故なら彼が愛した妻もまた人間であったからだ。
 
 憎はゴジラとなって街を焼き、愛は八塩折の酒となって荒ぶる竜を鎮めた。
 
 いや、やはり身の内に仏も修羅も抱え込んでこその人間よ。堪らん。



では本日はこんな所で。

いや、最後に今一度約束の言葉を。


あー、面白かった!!