金魚屋古書店9巻でショックだった事


 

金魚屋古書店 9 (IKKI COMIX)

金魚屋古書店 9 (IKKI COMIX)


 漫画が好きな人にとってはたまらない漫画「金魚屋古書店」の新刊出てました。内容はいつも通りのクオリティで楽しんで読めたのですが、ショックだった事が一つ。


 それは、P.12で菜月さんが言った「うちにあるのは絶版になった判型の漫画だけ」という台詞。

 これが自分にとってはかなり衝撃的でした。だって、「漫画専門古書店」と「絶版漫画専門古書店」ではまるで存在意義が違うから。


 そもそも、自分は金魚屋古書店の魅力というのは「古今を問わない漫画の素晴らしさ」「漫画をキーに繋がる人と人の絆の素晴らしさ」を割と直球で描き出している所だと思っていたんですよ。

 確かに、今では入手困難な昔の作品を賛美する向きは既刊でもありましたが、「その作品を読んでいなければわからない話」では無かった為に、気になるようなものではありませんでした。

 また、絶版ではない同時代の漫画も度々登場していましたので、金魚屋ならびに金魚屋古書店という作品は、漫画に対して「古今の優劣」は付けていないと感じていたんですよね。刊行された年がいつだろうと、良い物は時代を超えて愛される、と。


 ところが、舞台である「金魚屋」そのものが絶版しか扱わないとなると話は違ってきます。お店のスペース的な問題は「ダンジョン」というファンタジー要素を盛り込んでまで既に無理くり解決しているにも関わらず、新刊として市場流通しているものは扱わない、というのはどういう事か。それはつまり、絶版以外の漫画=現在の漫画について価値をそれほどに認めていない、という事になり、端的に言ってしまえば『「ヴィンランド・サガ」の既刊揃いが欲しかったらブックオフへ行って下さいね』という事になってしまいます。

 奇しくも菜月さんの衝撃的な台詞の隣の頁(P.13)で「手に入らない漫画はないと言われている伝説の古書店」と言われているのに、これでは片手落ちじゃないですか。


 金魚屋という店の存在意義が、自分の中では「あらゆる漫画との出会いを手助けする空間」という認識だったのに、極端な言い方をすれば実際は「絶版やレア漫画を探した末にたどり着く最後の場所」だったというショック。自分が受けたのは、そういう類のものだと思います。

 もちろん、もし金魚屋に行くことが出来たとしたら、斯波さんを初めとするまんがばかの先達と「絶版だけど面白い漫画」「今連載中で一番アツい漫画」についてとっくり語りあう事が出来るでしょう。

 でも、それでも、金魚屋という店自体は「漫画が何でも揃う店」じゃなくて、あくまでも「絶版漫画専門古書店」でしかない。

 漫画の古今自体はこの作品のキモになる部分とは別なのですが、当の主舞台である「金魚屋」がそういう場所になってしまうと、ちょっと裏切られたような、間口を急に狭められたような、寂しい気持ちになります。


 ま、いつの間にかそれだけ「金魚屋」に感情移入していたという事でもあるんですけどね。


  • 余談

 あ、ちなみに漫画自体は相変わらず面白いですよ。9巻最終話の赤本の話なんか好きですねえ。

  • 余談2

 ちらっと思ったんですが、もしかしたら著作者の利益を守る団体とかが絡んでるんですかねえ。「現行市場流通品を古本で買う事を漫画で推奨するとは何事か。新刊で買え」という意味で、台詞直されたりしてるんでしょうか。


 自分は漫画喫茶もブックオフも自分としては否定しませんけどね。ただ、自分にとってそれらはあくまでも出会いの場所・お試し読みの場所であって、本当に気に入った漫画は買うのがマイルールであり、当然の事。

 だって好きなものは手元に置いときたいじゃない。