私という猫


「踏むごとに 残す間もなく消えてった 私という猫の足跡」

私という猫 (Birz extra)

私という猫 (Birz extra)


 本好き漫画好きなら「本に呼ばれた」という言葉だけで何の事かピンと来るんじゃないでしょうか。


 いや、確かに表紙買いなんてのは日常茶飯事ですし、作者の名前やジャンルだけで買うってのも珍しい話じゃありません。表紙絵の魅力、他の作品で見た作者の実力、いずれも購入を決意させる(比較的弱いながらも)明確な要素です。

 しかし「呼ばれる」時は違います。言葉に出来ない、それでいて抗う事が出来ない「何か」がその本から放出されていて、たかだかB6判だかA5判だかの全身で持って、こう呼びかけてきます。

 「買え」と。あるいは「出会え」と。

 そして今日本屋で自分にそう呼びかけて来たのは、この漫画でした。確かに自分は猫が好きですし、猫漫画も好きです。でも作者は全く聞いた事なく、絵も確かに写実的で巧いけれど特別に惹かれる所もありませんでした。それでも呼ばれたので手にとって、つい買ってしまいました。
 
 そして読後の今ははっきり言えます。「よくぞ呼んでくれた」と。「この本に出会えて良かった」と。



 昂ぶっておりますので前置きが長くなりました。つまり非常に面白かったです。


 お話は「私」という一匹の猫を軸に、とある町の野良猫たちの厳しくも暖かい日々を描いた猫漫画。

 主な登場人物(?)はこちら。

私…年かさのメス猫。飄々としつつも情にもろい所もあり。

美しっぽ…「私」のケンカ友達。メスの白猫。

ボス…町の野良猫のボス。巨躯隻眼の老トラ猫。

ハナクソ…数多いる「私」の息子の一匹。ボスの座を狙う若き暴れん坊。

ポンタ…「飼われ」と呼ばれる飼い猫の一匹。マイペースで物まねが好き。

ハイシロー…「捨てられ」と呼ばれる捨て猫の一匹。流れてこの町にたどり着いた。元飼い猫の為、野良のルールを知らない。


 彼らが争ったり寄り添ったりする猫社会が時にシビアに時に暖かく描かれていて、非常に面白いです。まるで猫の社会を本当に見てきたかのよう。写実的な頭身バランスの猫が勢いのある描線で描かれているのも手伝って、すっかり「猫の世界」に浸れます。さらに猫が出す威嚇や発情等の鳴き声のバリエーション、死に際の猫独特の毛が湿った感じや目ヤニの具合など、猫を飼った人でないとわからないような細かい描写にも全く抜かりはありません。作者さんは相当な猫好きと見ました。


 さて、先ほど「猫の世界に浸れる」と書きましたが、実はこの漫画の真価はその次のステージにあります。それは、猫社会という舞台を借りて描き出された、現実の人間社会の構造。確かに「猫ゆえに子供が物凄く沢山いる」「ボス猫は一夫多妻」など、猫ならではの部分も描かれています。しかし、安心して猫社会を興味深く眺めていると、不意に現実世界にリンクした場面が現れて、ぐいいっと「こちら側」に引き戻されます。それが繰り返されるので、頭が振り回されて酔ったような状態になってしまうのです。


 猫世界の解説に偏り過ぎず、かといって人間世界の示唆になり過ぎず。そのバランス感が絶妙。本当に新人か?この人。



 ↓例えば、こちらはいわゆる「猫の集会」を描いたシーン。


 「(野良猫は)孤高こそ理想。なのに何故時折 集まってしまうのだろう」というこのシーンは、野良を気取って積極的に他人と交わらないタイプの、まあぶっちゃけて言ってしまえば自分のような人間に響きます。現実世界で独りインドアの楽しみに浸っていても、例えばネットを通じて同じ感想を持っている人を探したり、オフ会に出て同好の士と会おうとしたりする。それはまるで猫の集会のよう。

 そしてこの後の場面では「孤独で気ままなはずの猫」がどうして集会をするのかが解説され、それはそのまま現実世界の「野良気取り=読者」に手痛い一撃を加えます。ここがまた堪らなく良いのですが、重要な台詞なので引用しません。興味のある方は是非自分の目で確かめてください。


 他にはボスVSハナクソの勝負の行方ですとか、ハイシローが飼い猫としての自分と訣別する話*1ですとか、単純にドラマとして盛り上がる所もちりばめられています。


 猫世界をモチーフにしたエンターテインメントでありながらしっかりしたテーマ性を持った、一冊で見事に完成された漫画。オビの志村貴子先生の推薦文「猫嫌いの人にも読んで欲しい猫漫画」ってのはそういう意味なのかもしれません。


 繰り返しになりますが、本当に「呼ばれて」正解でした。これはいい。


  • おまけ

 はまぞうで画像出ないので書表を。ちなみにA5判です。「呼ばれた」人は是非どうぞ。

 

*1:これがまたカッコいい!