惑星のさみだれ9巻と神様と人間の話


「でも私はかみさまじゃない 人間だ」

惑星のさみだれ 9 (ヤングキングコミックス)

惑星のさみだれ 9 (ヤングキングコミックス)


 素晴らしくアツい王道少年漫画「惑星のさみだれ」、超待望まってましたの第9巻。

 次巻で最終巻との事で、物語はそれはもう大変な盛り上がりを見せております。いやー、やっぱ面白いわコレ。今巻も読んでて燃え笑いが止まりません事よ?


 さて、では以下はネタバレアリアリの感想なので未読の方は回れ右でよろしく。

 今回も前回8巻と同じく、9巻の内容に沿って物語のテーマを考えてみます。



<アニマとアニムス>

 まず9巻の冒頭話はアニマとアニムスの過去編。ここでは彼らがケタ外れのサイキック能力を持った子供であったことが語られます。


 ここで描かれるとあるきっかけから、アニムスは地球を壊し続ける破壊の神様に、アニマはそれを阻止しようとし続ける存在になり、仲の良かった双子は対立する道を歩む事になりました。

 この決別の場面で力に酔ってアニムスが言う「いいじゃん ぼくはかみさまなんだよ」と、アニマが言う「でも私はかみさまじゃない 人間だ」という言葉は、その後の二人の生き方、闘い方、ひいては今回の最後の戦いの結末に至るまでを象徴しています。


 というわけで、今回は神様と人間という視点から「惑星のさみだれ」を読み解いてみます。



<二人の姫の願い>

 次の話で描かれるのは夕日とさみだれの出会いで、ここでは1巻2話からずーーーっと伏線になっていた二人の本当の最初の出会いが明らかになります*1


 この話の中でアニマはさみだれをこの時代の「指輪の姫」に選び、彼女に願いを問います。最初は願いが無かった彼女でしたが、夕日と出会い、別れた後で「今日のあの子にまた会いたい ゆーくん」という願いを口にします。

 また、逆にさみだれに願い事を聞かれたアニマは「そうだな 恋がしたい」と言います。アニムスと自らを「この宇宙にとって異物」と認識するアニマにとって、アニムスを倒した後に自分がどうなるか・どうなるべきかは既に織り込み済みなのでしょう。それでも、いやそれが故に、人間として「恋がしたい」と言うアニマ。思わずグッと来る場面です。


 で、ここで面白いのは、二人ともが「人に会いたい」という類の事を願っている所。

 片や超常の力を得て百年の戦いを続ける女性が、片や願いという物自体を覚えたての少女が、根っ子では同じ事を想う。


 それは、二人が人間だから。



<騎士たちの願い>

 さて、ここでちょっと9巻と離れて、今までの騎士たちの願いをおさらいしてみます。


 トカゲの騎士・雨宮夕日は泣きながら「おじいちゃんを助けて」と言いました。

 犬の騎士・東雲三日月は「自分の技を夕日に託す」と願って逝きました。

 ヘビの騎士・白道八宵は迷い無く「私の家族が死ぬ時は、笑って死ねますように」と願いました。

 カマキリの騎士・宙野花子は「ある犯罪者を殺す事」を願い、死亡率が高まる業を負いました。

 ネズミの騎士・日下部太朗はそんな花子を想って「即死で無い限り花子を生き返らせる事」を願いました。

 カラスの騎士・東雲半月は異国の子供にあげる為に「一つのパン」を願いました。

 鶏の騎士・星川昴と亀の騎士・月代雪待はお互いがお互いを想い「彼女が幸せになりますように」と願いました。

 カジキマグロの騎士・秋谷稲近は契約の願い事に依らず「子供たちに受け継ぎ、子供たちより先に死ぬ事」を願いました。

 猫の騎士・風巻豹は魔法使いを倒して全人類を幸せにする為に「泥人形を作れるようになる事」を願いました。

 フクロウの騎士・茜太陽は騎士団の人々との関わりの中で未来に希望を想い「能力の返還拒否」を願いました。


 花子はちょっと特殊ですが、それ以外の騎士たちは皆「誰かの為に」何かを願っています。世界を救う危険な戦いに臨む彼らは、単純に自分だけが幸せになるように、という願いを持っていませんでした。

 形は違えど、願いの大きさは違えど、騎士たちは皆脳裏に浮かんだ誰かの為に願いを使っています。

 
 そう、どれほど人並み外れた超能力を持っていようと、二人の姫も、獣の騎士達も、誰かと共に生き、誰かを想う誰か=人間である事からは、一歩も外れてはいないのです。


 それはもう、皆様もご存知のとおり、読み手の胸をしばしば熱くさせるほどに。



<アニマ+獣の騎士団VS最後の泥人形>

 さて、ここから9巻の話に戻ります。

 途方も無く長い負け戦の中で、アニマは「獣の騎士団」を作ってアニムスに対抗するようになっていました。

 それは主に「その時代の人間が生きる意志を持ってやるべき」というアニマの考えによるものですが、思うにアニマは「人間たちの願う力」に希望を見出していたのではないでしょうか。

 惑星を何度も壊すほどの超能力を持った「かみさま」を倒すために人間・アニマが信じ続けたものは、惑星から見れば五月雨の雨粒に等しい人間の力。誰かの事を想い、誰かの幸せを願う時の人間たちの力。


 そして迎えた最後の戦い。十二体目に放った獣の騎士団の最終領域の名は、これ以上ないくらい相応しいものでした。


 その名も、流れ星の矢ネガイカナウヒカリ」!


 嗚呼。これが、この想いを乗せた光が、打ち砕けないものなんか、あるはずがないだろう。



<一人のかみさまVS11人の人間>


 十二体目との戦いの直後、今度はアニムス本人と獣の騎士団の戦いになります。


 人間・アニマにとっての力とは、願いや想いによってどこまでも強くなっていく人間自身の力。

 神様・アニムスにとっての力とは、自分の超能力やビスケットハンマーのように無機質な存在。


 両者の戦いは熾烈を極め、果たして、途方も無く強大な力を持ったひとりぼっちの神様は、強い想いで束ねられた11人の人間達に敗れます。

 この場面、もちろん騎士達の側に立ってみれば物凄く燃えるくだりなのですが、ちょっと視点を変えて神様の方に立ってみると、結構哀しい場面なんですよ。


 かつては妹の笑顔を想ってプレゼントを用意した神様。

 風巻や太陽を(おそらくは目的の為だけでなく)側に置こうとした神様。

 意志を持ち始めたマイマクテリオンに自分を重ね見た神様。


 そう、神様もまた、一人の人間だったのです。

 だから、ただ一つ願えば良かった。


 誰かと共に生きたい、と。



 アニマの槍がアニムスを貫くシーンで私が思い起こしたのは、師匠の最後の場面*2

 語りたいことはまだあるけれど、今回はこの場面を持って終わりたいと思います。


 


  • 過去記事

「惑星のさみだれ」 1〜3巻感想

「惑星のさみだれ」 5巻感想

「惑星のさみだれ」 6巻感想

「惑星のさみだれ」 7巻感想

「惑星のさみだれ」 8巻感想

「惑星のさみだれ」のタイトルの意味


  • 超余談

 そういや今巻で気付いたけど、アニマとアニムスの髪の色って「サイコスタッフ」の光一君と一緒ですね。緑色。なんでも水上先生の超能力者のイメージは緑色だとか*3

 この漫画も超能力者=力と人間=意思を描いた良い話でしたねえ。1巻で綺麗にまとまってて読みやすいですし、オススメです。


 

*1:ちなみに1巻2話は9巻とリンクする場面が多くて、ファンの方は今読み返す事をオススメします

*2:4巻187頁

*3:「サイコスタッフ」のおまけ頁参照