Cocco「Raining」の歌詞の意味
お久しぶりの歌詞解釈記事でございます。
本日のお題はCoccoの中でも一番好きな「Raining」。
えー、初見の方のために一応説明。こちらの記事は好きな歌の歌詞の内容をアレコレ考えてみよう、ぶっちゃけて言えば勝手にストーリーを作って遊んでみよう、という記事です。
その為オフィシャルの歌詞の意味とか裏設定があっても、まったくそちらとは関係ありません。誤解なさらぬよう。
で、この記事の性向として、いつも「泣ける」「沁みる」歌詞解釈になることが多いです。というか元々そういう歌を選んでる=そういう歌が好き、なんですけど。
まず動画はこちら。
今回の歌詞解釈はこちらの動画と歌詞をとっかかりに、物語をひねり上げています。
歌詞は歌詞リンクを見ていただくとして、その下が解釈です。
ではゴー。
大好きなママにそっくりな赤毛。その頃、私はそれを三つ編みにして、毎日走り回ってた。
今思えば、他の人とは違うその髪の色もお気に入りだったはずなのに、どうしてだろう。
どうしてあんな事をしてしまったんだろう。
その日、私は教室でそのおさげを切り落としてしまった。
どうしてかわからないけど、なぜかそうしなきゃいけない気がして。そうしたくなって。
なんとなく「あ、切らなきゃ」そう思って、席を立って、おさげを引っ張って、根元からざくり、ざくりって。
だってその日はとても晴れていて。私の気持ちをあざ笑うかのように晴れていて。
だったら、未来なんていらないって思った。
こんなに残酷な世界なら、いらないって思った。
それはとても急な出来事だったから、どうしていいかわからなくて。何て言っていいかわからなくて。空は晴れていて。
教室では誰かが楽しそうに笑っていて。私がおさげを切り落とした後も、やっぱり誰かが笑っていて。
やっぱり空は晴れてて。わたしの赤毛の束が机の上にだらしなく落ちていて。
どうしたらいいかわからなくて。
でも、その日の終わりには優しいにおいがして。
だから、今度はなんとなく「生きていける」って。
そう思ったの。
もう切る髪が無くなった私は、腕を切るようになってた。
自分の血が暖かくて。それがなんだか嬉しくて。
血だらけの手を振り回して、あの人が「上手だね」って褒めてくれたダンスを、ずっと繰り返してた。
でももう褒めてくれたあの人は――おじいちゃんはいなくって。
やがてやってきたお別れの日も、やっぱりとてもいい天気で。
おじいちゃんが居た部屋はすっかり違ってしまってて。
黒い服の人がたくさんいて、息苦しくて、つまらなくて。
だから、私はおじいちゃんが「かわいいね」って褒めてくれた白いドレスを着て。
そうしたらママに「もう、あなたは外で遊んでらっしゃい」って言われて。
おさげを切ったり、腕を切ったりしてたからかな。この頃のママは、何だか言い方が冷たかった。
そして外はやっぱりとてもいい天気で。堤防の上から見る景色がすごくきれいで。
いつのまにか、私はおじいちゃんが「上手だね」って褒めてくれた歌を一人で歌ってた。
黒い服の人たちと、おじいちゃんの入った箱を、堤防の上から遠く眺めながら。
ああ、そうか。
あの日が今日みたいに雨だったら、土砂降りの雨だったら、思い切り泣く事も出来たんだ。
晴れてたり、いい景色だったり、誰かが笑っていたりしていなければ。
周りの世界も私と同じくらい悲しんでくれてれば、思い切り泣く事も出来たんだ。
でも、その頃の私はそんな事には気付かないで。どうしていいかわからなくて。
何て言っていいかわからなくて。空は晴れていて。
相変わらず、なんとなく世界は残酷で。
でも。
でもある日、着っぱなしで薄汚れてきた白い服を着た私が、ずいぶん遅くに家に帰ったら、優しいにおいがして。
ママが作ってくれたカレーのにおいがして。
私が好きなカレーのにおいがして。
だから、今度はなんとなく思ったの。
「生きていける」って。「多分、大丈夫」って。
だって、
とても晴れた日に教室で笑った事くらい、
――私にだって、あるもの。
というわけで祖父を亡くした少女の悲しみを歌った歌でした。
というか元々PVがそのストーリーっぽくなってるので、そちらに肉付けした感じですね。
悲しくて、やりきれなくて、どうしていいかわからなくて。なのに世界は残酷で無頓着で美しくて。
でも、そんな自分も「誰かにとっての残酷な世界」の一部であると気付いた時、少女は逆説的に誰かに優しくする事の大切さ・暖かさに気付く。同時に、世界に散らばる全ての悲しみを知らないで居られるが故に、日々を笑って過ごせるという事にも。
歌い方も歌詞も曲調もテーマも、全てが胸に迫る素晴らしい歌です。大好き。
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