BLACK LAGOON 9巻とロックの「正しさ」の在り処の話


BLACK LAGOON 9 (サンデーGXコミックス)

BLACK LAGOON 9 (サンデーGXコミックス)


 今日はこちらの記事に触発されて一席。当然ネタバレ含みますので未読の方はご注意ください。


 →「BLACK LAGOON」 「面白さ」を求めたロックは「夕闇」にいられたのかという話 (ポンコツ山田.comさん)

 →「BLACK LAGOON」 悪役面のロックは「正しい」人間ではなかったのかという話(ポンコツ山田.comさん)


 9巻で明確な悪役ヅラを見せたロックを切り口に、この漫画における「正しさ」について書かれた一連の記事です。山田さんの鋭くわかりやすい考察にはいつもながら頷く事しきり。BLACK LAGOONファンには特に読み応えのある記事ですので、強力に一読をお勧めします。


 さて、そんなわけで以下は上記記事を読んだ前提で進めます。



<正しさをどこに求めるか>


 確かに「正しさ」というものは多分に主観的なものです。別の視点から見ればたちまち崩れてしまう不安定なものです。

 しかしそもそもガルシア側とロックの「正しさ」は、方向性の違いというよりも、何処に軸足を置くかという点で決定的に違っていた気がします。具体的に言うなら、ガルシアとキャクストンのロジックでは「行動理念・過程」に、一方ロックは「結果」に重きを置いていたように思います。


 キャクストンの正しさは「戦場でも常に正しくある事」、ガルシアの正しさは「死の舞踏に加わらない事」で、ちょっと乱暴な言い方をすればその「正しさ」を貫きさえすれば、彼らは結果は割と天運任せなんですよね。それは、キャクストンがガルシアに銃を委ねて自分の命を賭けてしまうシーン、腹を決めたガルシア+ファビオラがプールの中で「神のご加護を」と祈るシーンに現れていると思います。

 逆に言うなら、彼らにとって「正しくない」行動で得た結果なんて何の意味も無いわけです。張兄貴の言う通り、まさに「善人で勇敢な」人達です*1

 そういう意味において、ファビオラの怒りには「空砲弾というインチキによって、本当は賭けなければいけなかった命を、賭けずして拾ってしまった」、つまり、彼らにとって「正しくない」過程を経て結果を得てしまった事への怒りも含まれています。


 さて、その一方でロックの正しさは「全員が生き残る事、賭けを楽しむ事」で、先程と逆に言えば、ロックはその「正しい」結果さえ得られれば、過程や方法はどうあろうと構わない(ように見える)んですよ。現にロックはあの酷い状況から口先三寸でダッチを丸め込み、ガルシア・ファビオラ・キャクストン+グレイフォックスをその感情も含めた上で駒として考え、「対象を生き残らせる」という結果をひねり出して見せたのですから。

 もちろん、ロックには享楽主義の性向が多分にあります。9巻ラストのシーンでロック自身は釈然としていないようですが、「人の命をチップに乗せて愉しんだ」のは間違いありません。そもそも第1話からして、いきなり巻き込まれた鉄火場でヘリを迎撃する=人を殺す策を立て、挙句「“して”やったぜ」とフ××ク・サインを出すなんてのは、どう贔屓目に見てもマトモな神経じゃありません*2


 ただ、その一方で「ロベルタとガルシアを生きて帰したい」というのも彼の本心な訳ですよ。遡って言うなら、3巻で双子の境遇に憤ったロックも、2巻で死体から遺品を盗るレヴィを諌めたロックも、9巻で悪人ヅラをしていたロックと同一なのです。

 しかし、その両者は相反するものではなく、両立しうるものです。次項ではその辺を少し。



<ロックの中にある善悪>


 仮に、人の命をチップに乗せて愉しむ享楽主義のロックを「悪のロック」としましょう。同様に、他人――特に女子供*3を救いたい人道主義のロックを「善のロック」としましょう。

 しかし、漫画のベタな表現としてあるように、ロックの脳内で「悪のロック」と「善のロック」が意見を戦わせる事はありません。ロックは、その両方を違和感無く併せ持った存在だからです。


 日本編で雪緒が言う「夕闇に留まっている」という表現の通り、ロックは善でも悪でもないどっちつかずの存在です。そして、実は割と最初からロックの立ち位置というのはそんなに変わっていません。

レヴィ「なあ……ロック。一つだけだ、それを聞いたら面倒はねえ。 お前、どっちの側にいたいんだ?」

ロック「俺は――俺の立ってる所にいる。それ以外のどこでもない」


(2巻・Uボート編ラストより抜粋)

 このように、2巻の時点から既にロックはどちらかに所属する事を拒否しています。光=善=平和な日常世界でもなく、闇=悪=血と硝煙の世界でもなく、その間に立って、「俺の居場所は俺の立っている所だ」と言います。なんというか、とても独善的というか自己中心的な考え方です。

 そしてロックのそういう部分が、彼の中で善と悪を共存させている要素なのだろうと思います。


 それは、一言で言ってしまえば「自分さえ気持ち良ければそれで良い」という要素。


 そう、つまる所ロックというのは自己満足のカタマリみたいな存在で、その性質故に「人助け=善行」も「他人の命を賭けたギャンブル=悪行」も等しく「愉しむ」事が出来るのです。

 誰かの為になる事=満足。自分の知略を巡らせる事=満足。

 外側から見ればそれは善と悪に見えるかもしれませんが、ロックにとっては、それは「満足」の作り方が違うというだけの事。


 その辺を端的に表したシーンをちょっと抜き出してみます。

 タケナカ「……あんちゃん、俺はな。人民総決起、世界同時革命、そういうもんに全部を懸けて、日本を出てきたのさ。意志と目的がありゃ、負けとは言えねえよ。あんちゃんには――そういったとこがあるのか?」


 ロック「………………俺にだって、ありますよ」


 タケナカ「どうかな、覚悟と目的は同義だ」


(3巻・ジハード編より抜粋)

 雪緒「だって貴方は、私を助けたい訳ではありませんもの。貴方は、捨てたはずの日常を失いたくない、ただそれだけ。私を見殺しにしてしまえば、貴方は――日本に残した追憶の、最後の欠片まで、失ってしまうから」


(5巻・日本編より抜粋)

 ファビオラ「あんたは自分の愉しみのために――若様に命を張らせたんだ。最高にスリルのあるギャンブルをしたかっただけなんだ。(中略)でも、もうわかった。あんたはこの街一番の――くそ野郎だ。」


 ロック「それでも――君たちは勝った。それが、すべてじゃないのか?」


 ガルシア「―確かに、誰もが無傷では済まなかったけれど――僕らは目的を果たした。――ですが、それがすべてだと言い切る貴方は――貴方はもう――この街の人間だ。」


(9巻・ロベルタ復讐編より抜粋)


 と、こんな具合に所々でロックの自己中心的な要素は見抜かれてしまっています。そして、ロックはその度にショックを受けます。自分は善人ではないのかと。誰かを助けるためにやってるはずなのに、と。


 でも実の所、ロックはそれに対しての答えを所々で自分で言ってるんですよね。

 バラライカ「さあ踊れ。そうまでして助ける義理がどこにある?」


 ロック「――貴女は一つ勘違いをしている。義理じゃない、正義でもない。理由なんてたった一つだ。そいつは――俺の趣味だ。」


(5巻・日本編より抜粋)

 レヴィ「――ロック、あんたの取り分は、いったいどこだ?」


 ロック「――ガルシア君からの報酬。張さんからもらえる小遣い、それに――――自己満足」


(7巻・ロベルタ復讐編より抜粋)


 ロックの煮え切らない所・自覚が足りない所は、自分の中の善悪が「たかが趣味/自己満足」に基づくものでしかない事をわかっていない所*4。ざっくばらんな言い方をしてしまえば、振っ切っていない所。


 他人の為になる行動を「利他行動」と言いますが、利己的な理由に基づく利他行動と、純粋に利他的な理由に基づく利他行動というのはパッと見では区別がつきにくい上に、前者である事がその「他人」にばれると非難される可能性が非常に高いという厄介な代物。

 してみると、ロックに足りないのは「振り切れていない事」と、「その利己性が他者へばれないようにする配慮が足りない事」なんじゃないでしょうか。それが揃った時、ロックはバラライカの言う「いい悪党*5」になれるのかもしれません。


 自らの望む最良の結末=「正しい」結果を得る為なら、善に見えるロジックを駆使し、悪の持つ暴力を駆使し、人々が自らの描いた絵図通りに動くのを見て愉悦に浸る、夕闇に立つ真の悪党に。


  • 余談

 光から闇へ入っていった張兄貴はその経歴から見てもロックの先達と言える存在と思っているのですが、そういう意味で張兄貴は「振り切った後のロックの姿」とも言えるのでは、と思います。

 そういう視点で9巻を読むと、張さんの「下らねえことを下らねえまま楽しめる、そういう性分なだけさ」という台詞や、エピローグの桟橋の場面でのロックへのフォローが一層味わい深くなります。


  • 余談2

 えーっと、勘違いされている人もいるといけませんので一応。

 今回の記事は特にロックを「悪」として非難・嫌悪するものではありません。むしろピカレスク物としてイイ感じにスジが通ってきた「BLACK LAGOON」という作品に対しての、9巻時点でのまとめみたいなものです。


 
 

*1:まあ、山田さんの記事でも言及されている通り、彼らの「正しさ」に沿ってさえいれば人殺しもしますけどね

*2:もちろん現実世界の人間に当てはめて捉えるなら、の話。フィクションなのでこれはこれで良いのです

*3:双子や雪緒やロベルタやガルシア

*4:ロックにもある程度の自覚はあるので、正確に言うなら「自らの腹の中に落としこんでいない所」

*5:5巻123頁