悟空道1〜6巻と山口漫画の話
- 作者: 山口貴由
- 出版社/メーカー: 秋田書店
- 発売日: 2008/01/18
- メディア: コミック
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「覚悟のススメ」「シグルイ」の山口貴由先生描く破天荒西遊記。実はちゃんと読んだ事無くて、この度新装版が出たのを機に買い集めて読みました。
相変わらずの山口節で面白かったのですが、正直「覚悟」ほどの完成度はないし、「蛮勇引力」ほどの迸るケレン味もありません。もちろん山口式少年漫画の背骨である濃密な熱さは健在なので、そこは存分に楽しませていただきました。
ただ、どうにも一味足りない。確かに痛快娯楽活劇ではあるのだけれど、足場が固まってないというか、その裏側にあるテーマが見えてこなかったんですよ。言い換えるなら作品の立ち位置というか。
で、最終巻の作者インタビューでようやく状況が把握できたような気がします。というのも、その中にこんな一文がありまして。
「僕の方は全然、びっくりするほど成長してなくて、どこへ向かえば良いかもわからず、未だにさまよい続けています」
新装版のインタビュー当時が2007年ですから、既に「シグルイ」がヒットした頃です。ちょっと考えると、その時点でこの言葉が出てくるのが凄い。「覚悟」と合わせれば2本のヒットを飛ばしてるのですから、漫画家としては成功してる部類なのに、その言葉からは気負いも驕りも見えない。そのストイックさを例えるなら、まるで求道者のよう。
そういう意味で、「悟空道」ってのは作者自身の自伝みたいなものじゃないかな、と思うわけです。「悟空道」は「覚悟のススメ」でヒットを飛ばした直後の連載なのですが、『とりあえず「覚悟」はウケたけど…さて次はどうする』といった状況下で、途方も無い旅路の物語をテーマに選んだ事こそが、作者自身の漫画道に対する回答なんじゃないかな、と。
確かに正直、ストーリーの中で浮ついた部分も見られるし、勢いだけで走ってる部分も見受けられます。しかし、三蔵一行を山口先生本人、次々に現れる強大な敵達を漫画道での様々な問題*1に置き換えた時、その迷いや上滑りの部分も含めて「道行きに何があったって描き続けるしかないんだ!」という強い意思の物語としてこの漫画が見えてきます。
劇中で頻繁に使われ、ラストシーンでも使われている「
これ、漫画の系統は違いますけど「ハチミツとクローバー」ではぐみが雨上がりの校庭を見つめるシーンや、「GA-芸術科アートデザインクラス」でキサラギが一枚の空の絵を見つめるシーンと同じ意味合いですね。創作者の誰もが通る「神様との契約」という意味で*2。
だから、同じインタビューの中で山口先生は言います。
「漫画もいろんな、一人の作家の中でも「これは好きだ、でもこれは嫌いだ」ってあるとおもうんだけど、基本的には一つの樹なんですよね。それが葉っぱだったり根っこだったり花だったり茎だったりして。(中略)「悟空道」はどの辺にあるのかわかんないけど、まあ幹なんじゃないですかね。」
一般的には「覚悟のススメ」に比べて今ひとつの評判の様子ですが、こういう読み方もあるよ、という話でした。
「悟空道」はそういう視点で読み返すと実に味わい深い作品です。信者の戯言に騙されて再読するのも一興かと。是非。
- 余談
「覚悟のススメ」にしろ、この「悟空道」にしろ、新装版の方は山口先生の激アツ目次コメントが収録されているだけで買う価値があると信じて疑いません。必ず心震わせる言葉が見つかるはず。
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