Boichi作品集 HOTEL
- 作者: Boichi
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/10/23
- メディア: コミック
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ネット界隈で「素晴らしいSF」として話題になってるんで買ってみた。
Boichi先生の漫画って韓国ヤクザ界での成り上がりを描いた「サンケンロック」しか読んだ事無かったものだから、「はて、この人SFなんて描けるんかいな」と思ったので、噂の確認の為に興味本位で読んでみたのですが、完全に裏切られました。良い方向に。
物語と精緻な絵から溢れ出るSFロマンに、読みながら「そうか、Boichi先生ってのは「そう」なのか。人が悪い。全く人が悪いぜ」と部屋で一人ニヤニヤしてました。
なるほどこれは読み逃すには余りにも惜しい傑作。本当に素晴らしいSF作品でした。
ああ、畜生。漫画って何でこんなにワクワクさせてくれるんだろう。大好きだ!
さて、中身は表題の通り短編集。とにかくネタバレしては元も子もない話ばかりですので完全にサラの状態で読んで欲しいのですが、それでは話が進まないので本当に少し触りだけ。ただ、心底楽しみたい人は以下の触りすら読まない事をお勧めします。
「HOTEL -SINCE A.D.2079-」
表題作。温暖化のインフレスパイラル*1に突入した地球で、人類は他星系への方舟と南極の超高層タワーに希望を詰め込み、滅びへの道を余儀なくされる。希望とはあらゆる生物のDNA。「ホテル」と呼ばれたタワーの管理人「ルイ」は、無期限で
希望 を守り続けるという途方も無い責任を果たす為に全力を尽くし、そして…
寸評:圧倒的なスケールの素晴らしいSF作品。隙がなさすぎるにも程がある。
「PRESENT」
その日、病床で長い昏睡状態から目を覚ました女性の目に真っ先に飛び込んできたのは彼女の夫の姿だった。低温治療という長い時間をかけた治療だったにもかかわらず、彼女が生きられるのはあとわずかだと医師は言う。夫は彼女にその事を告げず、妻との最後の時間を過ごすのだが…
寸評:最後のオチが秀逸な暖かい掌編。巧いなあ。
「すべてはマグロのためだった」
マグロが絶滅した世界。かつて地球最後のマグロを食べた少年はやがて博士となり、マグロの復活に向けて研究に邁進していた。しかしその過程でうっかり世界の危機を救ったり、うっかりエネルギー問題を解決したり、うっかりアレしたりコレしたりで世界中から大喝采。何故だ!僕はマグロを復活させたいだけなのに!
寸評:どんどんスケールが大きくなっていく高揚感と徹底的に肩透かしにあう博士のリアクションが面白い。
後は伝奇物の「Stephanos」と美麗フルカラー戦記物「Diadem」を収録。この2点に関しては設定と絵を楽しめば充分。
上記にあらすじを書いた3本は本当に良い出来。SFという単語に小指一本でも反応する人ならば、騙されたと思って読むことを強力にお勧めします。
特に表題作「HOTEL」と「すべてはマグロのためだった」の完成度は素晴らしく、これだけのために850円出しても全く惜しくはありません。いやー、久しぶりにSFのロマンを堪能させていただきました。満腹であります。
さて、ここからはネタバレ御免の解説コーナー。いつもの自分流の勝手な解釈です。反転しておきますので未読の方はご注意を。
以下反転。読みたい人はドラッグしてね。
「HOTEL」
これはとにかくそのスケールのでかさと物語の緻密さに圧倒された。ここまで良く出来てると、もう笑うしかないレベル。
で、2回目に読む時はサッチモのCD引っ張り出してきて「What a wonderful world」聴きながら読みましたよ。完璧な調和っぷりに感動もひとしお。思わず泣いたわ。コレ、アニメで映像化したら相当な傑作になるんじゃないでしょうか。
あと「あ、芸が細かいな」と思ったのは最後の人間のDNAの話。神話でもそうですけど、普通ノアの方舟系の話ですと雌雄一対を乗せるじゃないですか。なのにこの作品ではルイが人間のDNAについて「僕の弟」っていうと共に、確かに試験管の表記も「MALE」になってるんですよ。自分も「男だけでどーするんだ?」と思ってちょっと考えたんですが、これだけの科学技術があれば、染色体XY(男)が残ってればXX(女)は作れるって事ですね。博士とキラの二人の子供って意味と共に、そういう「客室の省スペース化」についての補強説明も出来てる。巧い。
「じゃあ突き詰めて考えればATGCのデジタルデータで残せば良かったんじゃないの?」なんて無粋な事は言いっこなし。それじゃ物語が成り立たない。
「すべてはマグロのためだった」
これ、基本的にはコメディテイストでバカみたいにエスカレートする様を楽しむ短編だと思うし、他のレビュー見てもそういう捉え方が多いんですが、これってちょっと考えると割と深い事描いてて、「HOTEL」とは違う方向での感動を覚えました。
で、何が良かったかというと、自分もラスト数ページのくだりでやっと気付いたんですが、この作品って手塚先生の「ブッダ」の名シーンと同じテーマが流れてるんですよ。
「すべてはマグロ…」の方では最後にマグロの復活を望んだ博士と偉大な存在が以下のような会話を交わします。
偉大な存在 「マグロを取り戻す方法はないではありません。しかしマグロが絶滅に至った全ての複合的要因を除去しないと意味がありません。さらに生態的に完全を期するならマグロ以外の絶滅種も全て復元しなければなりません」
博士 「それこそが私の願いだ」
さらに「二度と海からマグロが消える事が無いように…」と告げて博士は去っていきます。
また「ブッダ」の方では、乱暴者の巨人ヤタラにブッダが説くくだりで、以下のやり取りがあります。名場面なのであえてかなり端折ります。
ヤタラ 「みんな不幸 そんならなんで人間はこの世にあるんだ……」
シッダルタ 「木や草や山や川がそこにあるように 人間もこの自然の中にあるからにはちゃんと意味があって生きてるのだ。あらゆるものとつながりを持って…。 そのつながりの中で おまえは大事な役目をしているのだよ」
ヤタラ 「この お おれがか……」
シッダルタ 「そうだ。もしおまえがこの世にいないならば 何かが狂ってしまうだろう」
ヤタラ 「おまえ ふしぎなこという… おれ そんなふうに 思ってもみなかった……」
つまり「すべてはマグロのためだった」も、ブッダの作品中で語られたのと同じく「世界はひとつながりである事」をテーマとして持っているのです。「マグロ…」の中で汐崎博士がマグロの為にやってきた事が結果的に世界を救いまくるのも、偶然を装ったコメディであると共にラストシーンで語られるそのテーマの示唆なわけです。
だから偉大な存在は「マグロ以外の絶滅種も全て復元しなければなりません」と言い、長い人生を掛けて世界の成り立ちを理解した博士は一言「それこそが私の願いだ」と言うのです。
マグロの為に世界が在り、世界の為にマグロが在る。まさに全にして一、一にして全。SFと宗教的観念の高次元での融合は、まるで手塚漫画を読んでいる時の様な興奮を与えてくれます。
そうして考えると「すべてはマグロのためだった」と言うタイトルの的確さ・完璧さが一層際立ちます。
コメディでありながら真理。真理でありながらコメディ。こうやって飄々と深いテーマを描けるのは本当に凄い。
反転終了。
そんなわけで今回はBoichi先生の漫画の凄さを思い知りました。モーニングでの新連載が楽しみです。
- 超余談
今更新して反転したところ見たらキーワードが反転されないんでポツポツとマグロ・マグロ・マグロ…って見えてる。魚群みてえ。
*1:ポジティブ・フィードバックというらしい