ボケとツッコミ

 

 世界にはボケがいてツッコミがいる。だからこそ世界は巧い事回っているといっても過言ではない。それが天然であろうと意図的であろうとボケは存在し、それがドツキだろうとソフトだろうとツッコミは存在する。それが世の成り立ちであり、おそらくはボケとツッコミという言葉が生まれる遥か前から存在していたと思われる、もっとも基本的な人間関係の形であろう。しかし、もしボケしか存在しない社会だったとしたら、あるいはツッコミしか存在しない社会だったら世界は一体どうなっていただろうか?もしも世界が全員ボケだけだったら、ボケは生まれてから死ぬまでボケてボケてボケ倒してしまうため社会は近代化を迎えられず、「打製石器ってダセイよな」「土器を見るとドキドキするぜ」という所で進化が止まってしまうという恐るべき事態になってしまうだろう。逆に世界が全員ツッコミだったら、突っ込む相手がいない彼らは「なんでやねん」「なんでやねんってなんやねん」「なんでやねんってなんやねんってなんなんや」「なんでやねんってなんやねんってなんなんやってなんやしらんけどなんや」「なんでやねんってなんやねんってなんなんやってなんやしらんけどなんやってなんちゃってって…」などと言い続け、舌を噛んで死んでしまうという地獄絵図が展開されるであろう事は想像に難くない。これでボケとツッコミとは世界の両輪であり、どちらが欠けてもいけないものだという事は良くわかってもらえたと思う。その関係式はまさにいちご大福に例えるならいちごと大福、クリームパンに例えるならクリームとパン、カツサンドに例えるならカツとサンドである。サンドって何だ。さて、ここまで読んできた皆様に一言だけ伝えてそろそろ幕としたい。


早く突っ込め


頼むから。



  • 余談

あと「土器を見るとドキドキするぜ」は我ながらどうかと思った。死ねばいいのに。