渋滞

 渋滞は誰だって嫌いだろうし、自分ももちろん嫌いだ。でも、こういう時にこそその人の「地」が出る。悪い言い方をすれば「底」というか。

 例えば、幹線道路の工事渋滞で三車線から一車線に減っている時、出来るだけ外側あるいは側道などを通って、合流地点の出来るだけ前に出ようとする人がいる。そんなことをしたって到着時間はたいして変わらないばかりか、一台ずつ譲り合っている均衡が崩れ、結果的に車の流れが悪くなってしまう=渋滞が長くなるのに。

 例えば、高速道路の事故渋滞でさんざっぱら自分自身が渋滞でイライラさせられたにもかかわらず、当の事故現場までたどり着くとにスピードを落としてゆっくり観察したりする人がいる。それも事故渋滞の原因の一つなのに。

 いうまでもなく道路は公共の場だ。ましてや常時動いている血管のようなものなのだから、大前提は流れを止めない事、流れを止めないためにどうすれば良いかを考える事ではないだろうか。自分が、自分が、と急いた所でたいして状況は変わりはしない。逆に「皆がスムーズに進むためにはどうすれば良いか」を皆が考えて動けば、きっと皆が少しずつ早く目的地に着く。

 その程度の事もわからない、底の浅いドライバーが多すぎる。愛知県が交通事故ワースト2というのもうなづける話。県民性なのかなんなのか知らないが「自分さえ良ければ人はどうでもいい」人間が多い気がする。僕は、他人を不当に押しのけたり傷つけたりしてまで自分の利を得ようとするのはみっともない事だと教えられて育った。だから、僕が他人を蔑ろにしないのは、その「自分さえよければ…」の部分に抵触するからであって、100%他人の為とは言えない。言い換えるなら、「みっともない自分になりたくない」為に=自分のプライドを守るためだけに他人を押しのけたりしない、というだけだ。

 でも、僕はそれで良いと思う。少なくとも「自分さえ良ければ人はどうでもいい」人間よりはずっとまし。「他人なんかどうでもいい」と思っている自分を「良し」とする浅ましい人間よりはずっとまし。


 自分を貶めてまで得なければいけない代価が、本当にそこにあるのか?

 理解しかねる。