転回論と正確性について


 昨日の予告どおり今日はちょっとマジ話。今日のおっちゃんの独り言は長いですよ?覚悟完了した人から読んでくださいね。


 「牛乳が危険だ」という諸々の記事を読んでいて、日頃から思っていた事をまとめようと思った。それは「転回論は正しいのか否か」という事だ。

 下記に章立てで自論をまとめていくが、背骨となる統計学的な資料はない。あくまでも感想・所感に類するものであり、推測を多分に含むためにもちろん正確なものではなく、万人に当てはまるものでもない。

 それでもこの記事が読んでくれた人の思考の一材料となる事を切に願い、拙いながらもまとめてみる事にする。
 

転回論…本記事内では「コペルニクス的転回を読者に与えようとする論」を指す。つまり社会通念や常識を覆す革新的な学説や記事の事。

1.転回論の影響性

 以前言及した「鏡の法則」のA子の体験談と同様、「牛乳は危険」という一連の話も話の筋立てとしては転回論に振り分けられる。「牛乳は体に良い」と教えられてきた人間が「牛乳は実はこんなに体に悪いんだよ」と言う記事を読んで受けるショックは、「鏡の法則」で思っても見ない方法で問題が解決したA子が受けたショック(感動)と同種のものだ。それはつまり「常識・通念を覆されるショック」であり、転回論の多くは論そのものの科学的・統計学的な根拠よりも、むしろ「転回論である」という点をもって読者に納得性を持たせようとしているように感じる。『まずは転回論によって頭をガツンとやっておいて、そのスキに補強となる「もっともらしい話」を滑り込ませる』事により、自論の正当性・納得性を増幅させるというやり方だ。
 誰だって長年信じてきたものが否定されるのは受け入れがたい。逆に受け入れがたいがこそ「本当かなあ」と思ってその記事を読んでしまい、通常に流し読みする記事よりも高い能動性をもって当該の記事と接する事になる。そしてそこにある「もっともらしい記事*1」によって「転回論」を受け入れてしまった哀れなラット達は易々と自分の世界をぐるりと回したり、目からウロコを落としたりする。
 また、転回論は「本当かなあ」と人目を引く=記事を読む母集団が増える=確率的に信じる人が増える為に、社会に対する影響性は通常の記事に比べて大きいと考えられる。


2.転回論の正確性

 これについては言うまでも無い。それが正確であるか、正当性があるか、信じるに値するかはその論によってまちまちであり、転回論であるという事=正しい、あるいは転回論=間違っている、等とひとくくりにする事はできない。地動説のように当時は転回論であっても後に正当とされたそれはいくらでもある。
 従って、この記事で私が問題にしているのは「信念もないままに、自らの金儲けと売名の為に転回論をもって徒に人心を惑わす輩」であり、正当な理論と統計に基づいた転回論については全く問題は無く、むしろ賞賛されるべきものだろう。


3.転回論の落とし穴

 では何故彼らは易々と転回論にはまりこんでしまうのか。それを「刺激」「権威主義」「判官びいき」「少数派の影響力」という4つのキーワードで説明してみる。

 <刺激>
 比較的平穏で安定した生活を送っていると、潜在的に刺激を求めるようになるのは決して珍しい事ではない。そういう「びっくりしたい」人間にとって、ネットや本屋というアクセスしやすい場所に転がっている「牛乳には危険がいっぱい」とか「間違いだらけのダイエット」みたいなタイトルは非常に魅力的なものだ。彼らは、ショックを受けたいが為にそれらの本や記事を読むのだから、その結果はいわずもがなである。彼らはその記事に論そのものの正当性よりも、ある種知的エンターテインメント性*2を求めているために、正しいかどうかという事を自分なりに吟味することもなく、簡単に盲信してしまう。要は「びっくりした」「目からウロコが落ちた」と言いたいばっかりなのだ。
 逆に、毎日が鉄火場で嵐のような職場で働いている人がこういう転回論に出会ったらどういう反応をするだろうか。「そんなものを読んでるヒマは無い」とか「今健康だから別にいい」が関の山ではないだろうか。

権威主義
 転回論の中でよく使われるのが「名誉教授の研究では…」とか「実際、アメリカでは既に…」といった言い回しだ。つまり権威を持っている(と一般的に思われる)人や国が言っている/やっているのだから間違いないという理論である。実際は大国であろうが無かろうが、お医者様だろうが無かろうが、それは所詮肩書きの一つであって、「真実」とはまるで別次元の話だ。無論、専門家である/その道で歴史と経験がある国家であるという事はある程度の補強にはなるかもしれないが、断じてそれが真実であるという事とはイコールではない(同様に最新の学説だからといって、真実であるとは限らない)。
 権威主義に陥る人間というのは、権威そのものをもって正当性となす無思考性を持った人間である。「誰が言ったか」よりも、「何を言ったか」「それが正しいか」の方が何倍も重要であるにもかかわらず、「有名なお医者様だから」という点ですっかり信じてしまっている。それは明らかに思考の怠慢であり、人間として恥ずべき事だ。
 
判官びいき
 日本人特有の性向を表す言葉として、「判官びいき」という言葉がある。源義経の故事に由来し、「弱者に対する第三者の同情や贔屓(ひいき)」を指す言葉だが、この場合は弱者というよりは少数派といった方が良いだろう。
 転回論において「判官びいき」が発生するプロセスは以下の通り。①転回論というのは常識を覆す少数派の意見として読者に見られる。②民主主義社会において、多数派=勝者・強者であり、少数派=敗者・弱者というのが一般的だが、あくまでもこれは便宜上の問題であって、いついかなる状況においても多数派=正しいとは限らない。①と②が化学反応を起こすと「判官びいき」が発生し、彼らは「弱者・少数派だからこそ目を向けるべきではないか」と思ってしまう。それは「マイノリティ気取り」と「公平さを顕示したい」という欲求、及び上記の2点(刺激と権威主義)の要素も相まって少数派の擁護へとシフトする。ここでタチが悪いのは「少数派こそが世界を変えるんだ」と考えてしまう人達だ。これについては次項で説明する。

<少数派の影響力>
 少数派の影響力(マイノリティインフルエンス)とは、「頑固な少数派が自論を唱え続ける事が、(多数派に)その論は正しいのではないかという思いを抱かせる事がある」ことを指す。つまり継続性と明確な意思表示により多数派の中の浮動票を徐々に引き寄せてしまおうという寸法だ。前項「判官びいき」の過程を経て転回論(少数派)擁護に回った人たちの中には、(知ってか知らずか)この少数派の影響力を行使しようと試みる輩がいる。具体的に言うとアマゾンやヤフーの書評を書いたり、ブログに「感動しました!」とか「日本人は食生活を見直すべきですね」とか書いたり、酷いのになるとまとめページを作って布教に勤しんだりする。しかも、それが「世界を変える」「日本を救う」「子供(未来)を救う」事になると思い込んでいるから尚更タチが悪い。彼らは「世の為人の為」と言いながら、その実「世の為人の為に少数派なれど頑張っている」自分に酔っているだけ。真に世の為人の為を思うなら、仮に転回論に感動した・感銘したとしても、それにはまり込まないようにまずは冷静になって多面的に物事を判断する事が肝要だと思われる。常識を盲信する事と同じく、常識の転回論を盲信することもまた愚かな事なのだから。


 上記の4つのキーワードに当てはまる心的反応をもって短絡的に転回論を支持するような事は実に浅薄であるといえる。例えば「牛乳は危険だ」という事に関しても、本来は「危険論」と「擁護論」の2つの資料を集めて正当性を判断するべきなのに、「牛乳はもともと牛の子供が飲むもの」「日本人には牛乳を飲む習慣が無かった」「アメリカでは既に豆乳が常識」「牛乳はもともと戦後にGHQの策で導入された食品」というまさに転回論にふさわしい刺激的な言葉に踊らされてしまっている。そんな上っ面の言葉よりも、なぜ「牛乳は危険だ」という事について(信頼に足る)科学的データを出さない・顧みないのか。



4.総論

 先ほども述べたように、転回論そのものが悪なのではない。要は転回論をもって商売をする輩(特に健康・ダイエット業界)が気に入らなくて仕方ないのだ。いつも「実はこうだった!」「本当は○○だった!」みたいな謳い文句で商売してて、一体いつになったら真実にたどり着くのかわかりゃしない。結局、彼らは一時的に話題になって視聴率が取れたり本が売れたり名が売れればそれで良いわけです(先日のTBSの問題も同様)。従って彼らにとっては「頭や体の弱い連中が引っかかればそれでよし」であり、確固たる信念と綿密な調査の元に書かれたものでなくてもいい。むしろそんな立派なものを真面目に研究する能力がないからこそ、こういったエンターテインメントというか一過性のお祭り的な部分で素人相手に金を稼ごうとする。それは同じ肩書きを持つ過去と現在の研究者達に対して、かつ自分自身が研究対象としている分野に対しての冒涜であり、明らかな背信だ。
 研究者としての誇りがあるのならば、自論に一点の曇りもないというのならば、是非一過性のものではなく、その「転回論」でもって「常識」と戦い続けて欲しいものだ。

 「鏡の法則」の時にも書いた事だが、一般の人達はこういう転回論と出会っても盲信する前にまず自分で考えて欲しい。喧伝するのであれば、それが信頼に足る資料かどうか、自分なりに判断してから発信して欲しい。当たり前の事だが、TVも本も医者も正しいとは限らない。自分で考える事を放棄した人間は、もはや一顧だに値しない雑草に等しいのだ。

 
 「人間はひとくきの葦に過ぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である」


 つまり、締めでパスカルの言葉を借りなければならないという程度には、自論の一貫性に自信が無いという事です。




<参考ページ>
 牛乳の危険性
 「牛乳論争」の誤解を解く
 病気にならない生き方 -ミラクル・エンザイムが寿命を決める-
 牛乳には危険がいっぱい?

*1:大半は正当性のない実験結果だったり、質の悪いものになるとそれすら無くて推測だけで物を言っている

*2:それが単なる刺激欲求に基づく行動という意味において「痴的」と銘打ちたいが