というわけで

 今日も手抜きですが、昨日更新出来なかったんでせめてニュースくらいは。


104に無言電話3万7000回=「声が聞きたい」、男を逮捕−広島県警

 何も言えなくて…夏。 

 ロマンチックのようでそうでない、ドラマのようでそうでない、冗談のようで嘘でない本当の話。何やってんだか。仕事せえよ仕事。
 そういえば内田春菊の本で「24000回の肘鉄 (角川文庫)」ってありましたね。タイトルだけ気になってて読んだ事はないんだけど。



「めぞん一刻」初のドラマ化!美咲が“アナタ”を選びます!

麗奈ヒロイン「夕凪の街 桜の国」映画化

 最近は本当に漫画原作のドラマが多いなあ。やっぱり人気漫画だとある程度視聴率とか観客動員数といった「数」が見込めるからでしょうか。
 ま、面白けりゃなんでも良いんですけど、折角なら原作が好きで好きでたまらないって人達に作って欲しいな。
 そうすりゃ滅多な事しないでしょうから。



女性連続監禁事件、多発の“病巣” 強い劣等感、妄想生む

「男性の欲望を肥大化、AVやエロゲの排除を」 専門家、女性監禁多発に警鐘

 宮崎事件の頃と何も変わってねえ。とりあえずAVもエロゲも規制しときゃ何とかなるんじゃね?って事ですか。それだけ短絡的な脳回路だとさぞ長生きする事でしょうなあ。
 親と学校と地域社会が歪んでりゃ、そこに育つ子供も歪むに決まってんでしょうが。百歩譲って、仮に過激なAVやエロゲの影響があったとしても、それは飽くまでも一要素でしか無くて、性犯罪を犯すような無思慮な奴にはそれなりの下地がある。彼らは元の土台が腐ってるんだからAVとかエロゲとかが無くても「やる奴はやる」よ。
 ゲームのせい、ネットのせい、漫画のせい、ビデオのせい…何でもかんでも媒体のせいにするんだったら、殺人・レイプ場面があるTVも小説も映画も全部ダメって事になるわな。
 俺だって漫画の中で何千人何万人と人が殺されるのを見てるけど、本当に人を殺そうと思ったことなんか無い(当たり前)。
 結局は子供達が歪んだのを自分達のせいだと認めたくない親世代の言い分。みっともないね…。


 ちょっと大きな話になるけど、現代社会は何でもかんでも明文化しようとしすぎなんですよ。規制や法律といった明文化したもので縛りつける事に終始するあまり、「これやったらヤベーんじゃねえか」「これはさすがにまずいだろ」っていう感覚的な縛り(モラル)が低下してる。
 「犯罪が起こる→法律を強化→その法の目を潜った犯罪が起こる→法律の強化」ってイタチゴッコ。つまり「法律=絶対!」と思わせようとしすぎたせいで、「じゃあ法に触れなきゃいいんじゃね?」とか「まさか悪い事だと思ってませんでした」みたいな輩が出てくる。元々人間なんて遺伝子も環境も人それぞれバラバラで不安定なんですから、工業製品みたいにチェック項目を増やせば絶対に良品が出来上がるわけじゃないんですよ(原料が違えば出力物も違うでしょ?)。だから親や学校や地域社会が子供に躾をして、感覚的な縛り=モラルを植えつけるんです。感覚的というのは曖昧という事であると同時に、「応用が利く」という事でもありますから。
 例えばA、A’、A’’、A+、A−という5つの行為に関して禁止しようとする場合を考える。
 法律で縛る場合は「Aはいけません、A’はいけません、A’’はいけません、A+はいけません、A−はいけません」と表さなければならず、更には「じゃあA#はやってもいいんじゃないの?」って事になる。でもモラルで縛る場合は「Aに類する事はダメだよ」という事でA的なこと全ての抑止力になる。更に言えば、モラルというのは人間の行動の源となる「自分自身の感情」に直接訴えかける縛りですから、法律のような「たかが赤の他人が勝手に決めた文章」なんかよりもずっと抑止力が高い。

 本当に犯罪を減らしたいのであれば、そういった部分をこそ高めていって欲しいものです。もちろん、モラル(=感情)だけで全ての問題が解決すると思っているほど性善論者ではありませんが、逆に法律(=理論)をどんどん厳しくして行けば全ての問題が解決できると思うのも「全ての人が理論に盲従するはずという前提に基づいている」という意味において余りに性善説に過ぎるのではないかと思います。


 んー、この辺の話は長くなりそうなんでまた気が向いたらまとめます。眠いのでオヤスミ。