昔々の日記の続き

 ヴィレッジバンガードって何か好きになれんなあ、っていうずいぶん前の日記の続き。
 

 結局何がそんなに気に入らないかっつうと、あの店の排他的な雰囲気が嫌いなんだと気付いた。

 「若くておしゃれでセンス良くないとダメ」というか「イケてる/イケてないの2元論で成り立ってる」みたいな、その雰囲気が強すぎる*1
 本屋って言っても普通の本屋とは違って雑貨やCDも売ってて、当然スペースの関係もあって店側がセレクトした物=センス良い物として売ってる。その根性が気に入らない。

 「僕らが売ってるもの=センスが良い物・最先端の物」で、「この店に来る客=センスの良い客・わかってる客」って雰囲気を作り上げてしまい、客に「優越感」って付加価値を与える、というロジックは良くわかるし、商売としてはアリだと思う。
 でもそれって随分な思い上がりじゃない?星の数ほどある本や漫画やCDや雑貨から厳選して売ってたとして、それを買ったとして、更にそれに満足したとしても、それは本来あるべき「消費者が考えて選んで物を買う」という姿とはかけ離れている。何か、文化を切り売りしているような姿にさえ見える。

 そういう店のPOPに「コレがセンス良いよ」「今流行だよ」って薦められて買ったもののうち、果たしてどれほどが受け手側の心に残り、糧になるだろうか。
 そこで起こっているのはまさに文化の消費であり、考え、選択する事の喪失あるいは省力化だ(文化、という言葉がしっくり来なければ生活スタイルとでも言い換えようか)。

 本来、本屋とは良い本も悪い本もくだらない本も人生を変える本も売っている、もっと懐の深い場所であるべきだと思うし、たいていの本屋は規模の大小こそあれそういう場所だ。岩波文庫もファッション誌も地図もエロ本も受験参考書も漫画本も売ってるのが普通の本屋だ。もっと言うなら、その中から何を選択するのも個人の自由だし、選択したものから何を得るのかも個人の自由だ。
 子供の頃からそういう選択の試行錯誤を繰り返し、自分に合ったものを見つけていく(言い換えるなら自分の嗜好を理解し、自分自身を理解してゆく一助とする)事が本屋や図書館といった場所の本来の役割だと思う。

 しかしヴィレッジバンガードにはそれが無い、あるいは極端に少ない。そこには、既に「良い物*2」しか売ってないからだ。

 つまり、雰囲気によって客層を限定するのみに飽き足らず、商品を限定する事によって文化すら排他的にする、その「思い上がり具合」が見ていて非常に不快だし、更に無思考を促して物を買わせるその商法が気に入らない。くだけた言葉で言うと「おまえ何様のつもり?」という感じ。

 所詮その程度の店はファッションと同じく一過性のものであるし、逆に言えばそうでなくてはならない。例えば、今「ヴィレッジバンガードって楽しいよね〜」って言ってる人達が40歳50歳になってもヴィレバンに通ってるかって言ったら、多分飽きてるか、店に入りづらくなってるんじゃないだろうか。


  • 余談

 考えてみりゃ40歳50歳になって「ヴィレッジバンガードって楽しいよね〜」とか言ってたらちょっと引くわ。してみると中高年層を余り見かけないのも、入りづらさもあるだろうけど、この店の底の浅さに気付いてるからなんだろうな。というか既に自分の嗜好がわかっているから大きい本屋に行った方が良い、ってすぐにわかる。ヴィレッジバンガードって一定の本を探しに行くような所じゃないしね。


  • 余談2

 逆に言えば「あえて客層をある一定の年齢層、嗜好性(皮肉で言うなら無思考性)を持った人間に限定する事によって成り立っている店」と考えると、なるほど理に適っている。

 無論それが好きかどうかはまるで別問題だが。

  • 余談3

 ヴィレッジバンガードで検索してブログ見てると「ヴィレッジバンガードで○○買った」とかいう表記が多くて興味深い。普通は本を一冊買ったくらいで「近所の松本書店で○○買いました」なんて言わんわな(ツタヤくらいなら言うかも)。わざわざ「ヴィレッジバンガードで」買ったってアピールするってのはつまり、そこに対して行きつけの本屋と言うより遊園地とか遊び場に近い感覚を持ってるんだろうな。

 結局、事あるごとに「ヴィレッジバンガード大好き!」って公言する輩はヴィレッジバンガードが好きな自分が好きなんだろうな。まあそう言う私もヴィレッジバンガード嫌いな自分が好きなんで同じ穴のムジナですが。

*1:今時「イケてる/イケてない」って単語もどうかと思うが当然皮肉で使ってます。

*2:飽くまでスタッフにとって、だが