昔何かの本で見た事だと思うけど「文章というのは一つ一つの文字の組み合わせでしかなく、タイプライターを目の前に置いた猿を百万匹用意すれば、その中の1匹はいずれシェークスピアの戯曲を書き上げるだろう」とかいう話。

 つまり文章というのは確率の問題で、ある文字の後にある文字を打つ確率を計算していけば、たとえ言葉がわからなくても「文章」を作る事は不可能では無い、という事だ。

 例えば“I Love You.”という文章であればスペースとピリオドを入れて11文字。アルファベット26文字+スペース+ピリオド+カンマで29文字として、文章を知らない者がこれを打つ確率は29×29×…と11回かければいい。えーと…1京2200兆5097億6570万5800分の一の確率つまり0.0000000000000000819%。
 
 なるほど確かにゼロではない。しかしそれは意味のあることだろうか。シェークスピアにしろ太宰治にしろ、もちろん偶然によって文章を綴ったわけではない。そこにあるのは明確な意思だ。
 
 例えばここに猿が綴った“I Love You.”と人間が綴った“I Love You.”があったとして、字面は全く同じでも全く意味が違う。繰り返しになるが、そこにあるのは明確な意思だ。


 その上で言おう。


「おなか痛いんで寝ます」