天才に必要なのは才能?それとも…
- 作者: 伊藤智義,森田信吾
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1997/05
- メディア: 文庫
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ああ、今は文庫版で出てるのか。
古本屋でBJコミックス版を全17巻一気買いしたが、超美品で感動した覚えがある。
中身にはもっと感動したが。
内容はタイトルの通り、栄光を得られなかった天才たちの姿を描いた作品。
たとえば第一話は電話を発明したベル……ではなくて、全く同じ発明をしながらも、特許許可局に申請するのがたった数時間(!)ベルより遅かったというだけで歴史の表舞台に立てなかった、エリシャ・グレイという発明家の話だ。
特許許可局から落胆して帰るグレイと彼の助手の姿にナレーションがかぶる。
「グレイは「時間」に敗れたのだ。才能でも努力でも勇気でもなく―電話機の発明によって人々が手にするであろう膨大な「時間」に!」
そして家に帰ったグレイは助手に言う。「さて、始めようか」―――
今度はテレビの発明に取り掛かる彼ら。結局テレビはもっと後の時代になって発明される事になるのだが、だからといって彼を天才ではないといえるだろうか?
いや、彼は紛れもなく「栄光なき」天才の一人だった。
そんな具合に、才能がありながらも栄光をつかむことが出来なかった天才たちの話*1が1話完結または1巻完結で続く。個人的にはロケットの巻と野口英世の巻がオススメ。
さて、天才に必要なのは才能?それとも努力?
かのエジソン*2は「天才とは1%の才能と99%の努力である」と言った。
しかしこのマンガを読むと、本当に天才に必要なのは「情熱」なのではないかと思う。もちろん、それは行動として「努力」につながるわけだが、結局根っこの部分として情熱がなければ、ひとかどの事を為す膨大なエネルギーを出す事は不可能だ。
それは、無駄に終わるかもしれない。誰にも評価されないかもしれない。しかし、彼らはその抱えてしまった情熱ゆえにひたすら研究に、鍛錬に邁進する。
その姿が胸を打つ。しかしそれは悲劇を見る気持ちでも、ましてや安い同情でもない。
それは、彼らの情熱が読者に飛び火した時の暖かさであり、熱さなのだ。
日々の生活に疲れている人に是非お勧めしたい。