ちょっと

 仕事の合間に帰ってきて休憩中。


<ノーベル物理学賞>南部陽一郎さん、授賞式欠席へ

以下記事より抜粋


 今年のノーベル物理学賞の受賞が決まった南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授(87)=米国籍=が、12月10日にストックホルムで開かれる授賞式を欠席することが分かった。南部さん自身の体力と、妻智恵子さん(87)の体調が優れないことが理由という。

 「かっこいいとはこういうことさ」って奴ですな。それが愛だろうと単なる体力的不安だろうと、権威の前で手前を貫く姿勢ってのは惹かれます。


 
 それに比べて文科省の例の穴の小さい事小さい事。


 <ノーベル賞>南部陽一郎氏は米国人に…文科省「苦肉の策」

以下記事より抜粋

 文部科学省は15日、ノーベル物理学賞受賞が決まった南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授(87)=米国籍=を、白書などに掲載する国別受賞者数に、米国人として数えることを明らかにした。一方、受賞対象の業績を挙げたのは日本国籍時代で、今年の日本人受賞者は「4人」との見解だ。外国籍の日本出身者が受賞する初のケースで、文科省の「苦肉の策」となったが、ボーダーレス化する科学の世界では今後も同様の悩みが起こりそうだ。

 ナニ人でもいいじゃねえかよ。

 コスモポリタンとか国際化とか声高に言う連中も相当に鼻につきますが、日本人が!日本が!むふーっ!!って言うのも何か違う気がします。

 業績の内容は正直チンプンカンプンだが、スゲエのは南部氏であって日本人じゃない。優れた業績を残した人に与えられるのがノーベル賞なら、何人だろうがその人とその業績そのものを称えるべきだ。


 ノーベル賞受賞者でもオリンピックの金メダルでも同じ事思うんだけど、「日本人が○○人受賞!」とか「日本が○○個メダル獲得!」とかいうニュースを見て「日本人スゲエ」「やったぞ日本」とか思う連中って相当にお目出度い脳回路をしていると思う。いや、まあ思う事自体は悪くないのですが、それをさも自分の手柄、自分の仲間の手柄のように捉えるのはおかしい。
 凄いのは常人より遥かに努力して結果を出した彼等であって、テレビの前で菓子食いながらアホ面下げてるお前じゃない。同じ日本人であるというただ一点に共通性を見出して喜びを得るくらいなら、むしろ賞賛されている人と自分自身の差を嘆くくらいしてみせなさいよ。


 日本の良さや日本人的心や愛国心を否定するわけではない。だがそれを単に日々の慰みだけに使うのであれば、それは既に日本の美徳とはかけ離れたものだ。