水の鳥

水の鳥 (ヤングサンデーコミックススペシャル)

水の鳥 (ヤングサンデーコミックススペシャル)

 山田玲司は作者縛りなんで見つけたらとりあえず買うようにしてる。

 この人が手塚治虫リスペクトしてるのは知ってたんで、タイトルから「火の鳥」に向こうを張る内容かと思ったらそうでもなかった。あー、つまんなかったとかそういう事じゃなくて、オビのコメントとかから勝手に「満足した死」を描いた作品かと思ったんで。火の鳥が「生命」を描いた傑作であるならば、水の鳥は「死」を描いた話=死を礼賛する話なのかなー、と。
 ところが実際は「昨日までの悪い自分が死んで、新たに生き直す」という形の「再生」の物語だった。火の鳥は生命の塊で、水の鳥は再生の使者というわけだ。アレは明らかにオビの書き方が悪いだろ…漫画ちゃんと読んでんのか編集。

 まーそんな事に目くじら立ててもしょーがない。内容のほうはいつも通りの山田節で面白かったです。この人の漫画はホントに優しいんだよなあ。それは悪い言い方をすれば「所詮きれいごと」なんだけども、そもそも「きれいごとの何が悪い!」ってのが自分自身の根っこにあるもんだから、この人の漫画とシンクロするんだろうな。

 自殺は何時だって誰だって出来る。それはもちろん「昨日までの自分を殺してやり直す」って意味の自殺なんだけれども、そこで気になるのは「じゃあ再生すれば必ず幸せになれるのか?」って事。他作品からの引用になってしまうが、「マスターキートン」の中でチャップマン*1が自殺志願者(追い詰められた強盗犯だったかな?)を説得する時のセリフが、その答えを非常に的確に表している。

自殺志願者「(こめかみに拳銃をあてて)じ、人生は…やり直しがきくと思うか?」
チャップマン「…あんた次第だろ」

 そう、再生というのは単純な救いではなく、一つの始まりでしかない。この短編集でも主人公達が再生した後の物語は一切描かれない。しかし、作者は彼らが幸せになるであろう余韻を残したエンディングにしている。このあたりが山田漫画の「甘さ」「優しさ」だ。言い換えるなら「真面目さ」と言ってもいい。悩み・苦しみぬいたからって、再生したからって、幸せになれるとは限らない。結局元の澱んだ生活に戻ったり、それどころかもっと酷い事になったりする事もあるだろう。しかし、彼はそういう終わり方の漫画をほとんど描かない*2。この辺が自分の趣味に合う所で、一言で言ってしまえば「フィクションの中で現実を描いてどーするの?」って事だ。「現実なんて所詮こんなもんだ!」とばかりに、漫画の中で理不尽な死や悪党がのさばるのを描くのも、確かに表現方法の一つではある。しかしそれは自分からしてみれば単なる露悪趣味でしかなく、ゴシップ誌や写真週刊誌のように低俗で下品な代物だ。
 それよりも自分は、山田漫画の「努力・悩み・苦しみ→幸せ」という極めて分かりやすい図式の方が好きだ。やはり漫画というのは心の糧であり、受け取った人に活力を与えるものでなくてはならないと思う。もちろん、漫画なんてのは所詮虚構の塊だ。それでも、その虚構の塊によって読者の心に生まれたものは、現実に存在しているこの世界を変えていく力になる。だったら、厭世的になってしまう「ひどい現実」を描いたものよりも、世の中を良い方向に持っていく「優しい嘘」の方がいいじゃないか。そう思うのだ。


 あー、なんか変な自分語りモードに入っちゃって内容に触れてませんでしたな。山田漫画はこれだから困る(人のせいにすんな)。お話としては第3章の「エギゾーストタナトス」と第5章の「七草編」が特に面白かったです。「七草編」あたりは30分くらいの掌編で映像化したら結構良い物に仕上がるんじゃないか。常々思ってるんだけど、訳のわかんない萌えアニメ作る労力と金があるんだったら、オープン投票で傑作短編の映像化をする集団を作ってくれないかなー。で、日曜漫画劇場みたいなタイトルで30分×2本立てで毎週流すの。長いのは60分全部使ったりして。絶対見るね。DVDも買うね。長期連載で人気キャラがいてグッズばんばんみたいなのだけが「面白い漫画」じゃないのは、リリース側も含めて皆がわかってる事なんだけどなあ。

*1:キートンのライバルの私立探偵。グランブルーのエンゾがモデル

*2:そういう意味では「ストリッパー」は再生できなかった男の話、と言える