電車男ver.原秀則

 一昨日も書いたように、基本的にアンチベストセラーなんで「ホントにそんなに面白いのかぁ?」って気持ち半分、純粋な興味半分で「電車男」のストーリーを知りたかった。周りでもドラマ結構面白いって言ってるし。
 
 ただ、原作は文字読むのめんどいんで無し。ドラマも毎週撮る・観るの時間取るんで無し。ここはやっぱりマンガ版で読むのが俺のジャスティス。で、マンガ版で誰の読むかって言ったらやっぱ原秀則がカタい所かなと。でも、この手の話はジリジリさせられるのが目に見えてるんで、最初から最後までまとめて読もうと思ってた。

 今日会社帰りに本屋行ったら最終巻出てたので早速買ってきて、今読み終わった所。正直面白かった。1時間かからないくらいで一気に読んじゃった。

 電車男の周辺の人達が良いなあ。励ましたり、水差したり、妬んだり、また励ましたり。掲示板のグルーヴ感・臨場感も良く描けていて、流石ベテラン。
 全体的にいい人達過ぎる気もするが、まあそうでないと話暗くなるしな。

 あと、あえて美化して描いてるんでしょうが、エルメスすげー可愛いんですけど。仕草とか行動とか。



 原作の電車男の話がフィクションだとかノンフィクションだとか、そんなものは実際の読者にとってはどーでもいい話で、仮にフィクションだったとしてもこの話が面白い事に変わりはないわけで。では以下にこの話の面白さと意味についてオレ設定で語る。

 僕が考えるにこの話の面白さっていうのは、掲示板っていうモニターの中の物(いわば非現実世界)が、電車男エルメスっていう現実世界に干渉していく過程にあると思う。そこで読者は現実世界を動かしうる非現実世界もまた、スレ住人という現実に存在する人々によって作られている事に気づく(特にマンガ版は住人達を絵で描き分けることによって一層の実在感を出す事が出来る)。ネット世界というのは触れる事も嗅ぐ事も出来ない非現実であるが、結局「人」と「人」の間に「モニターと電線」がある構造――現実と現実を非現実が結び付けている構造になっている事に気づく。悪いことでない限り「気づく」「構造を理解する」事はもともと人間が喜びを感じる瞬間の一つだ。

 
 では次に、もし仮に電車男掲示板に頼らずに現実の友達に相談していたらどうなっただろうか?あるいはうまくいったかも知れないが、彼はこれだけたくさんの意見を聞く事は無かったろうし、これだけたくさんの「がんばれ」を聞くことも無かっただろう。
 そう、この話は「掲示板という媒体があったからこそ生まれた恋愛の話」であり、実際の所を言ってしまえば電車男エルメスの関係自体はこの物語の本質ではない。「電車」君はこの物語の真の主人公ではない。

 例えば「人生を変えた本」や「人生を変えた映画」なんてのは、別段珍しくもないフレーズだ。しかし「人生を変えた2ch」というのはどうだろう?電車男を知らない人は、「たかが2chに?プッ」と思うだろうが、電車男を読んだ人は少なくとも「まあ、ありえなくはない」と思うだろう。
 つまりインターネット掲示板の媒体としてのレベルが、本や映画のそれに近づいていく時代に居合わせているというドキドキ感と、双方向性・即応性を持った新しい媒体(インターネット掲示版)への期待感―これがこの物語の面白さの本質だと僕は思う。