俺を癒すな!
- 作者: 相田みつを
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2000/06/01
- メディア: 文庫
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もうね、
あいだみつをに癒されるくらいなら腹ァかっさばいて死んだらあ!
くらいに思ってます。
まあ自分の性向からしてアンチ気取りの部分が多分にあるんでベストセラー嫌いだったりするわけですが、それを差っぴいてもこの手の本ってのはどうも好きになれない。
確かに折に触れ彼の作品を見たときには、たまに「うまいな」と思ったりする事もあるのだけど、結局そこまでで深く感じ入る事が無い。心の底までストンと落ちてくる事が無い。
それは彼の作品が「癒し」をテーマにしているからだと思う。癒しとはそもそも「傷を治す事」であり、逆に言えば癒される為には当然「傷ついている」のが前提だ。つまり、この手の本を読んでも感じ入る事の無い私は、彼の言葉に癒されるほど「傷ついていない」と言える*1。
しかし他の人達はどうだろう。この系統の本を好む人達の一体どれほどが、本当に「傷ついている」のだろうか?
「お前なんかに何が分かる!みんな辛いんだ!」と一喝されればそれまでだが、私はこの手の本達が「癒し系」とやらのジャンルを確立するほどに書店を席巻しているのが気に入らないし、恐ろしくて仕方が無い。
鬱病の人にもっとも言ってはいけない言葉は「がんばれ/がんばろう」だそうだ(そう言うと「頑張れない」「頑張れなかった」自分を責めてしまって余計悪化するらしい)。それを考えると、本当の本当に傷ついている人や打ちのめされている人にとっての「癒し」というのは、詰まる所「赦し」なのだろうと思う。
「失敗したっていいじゃないか」
「つまづいたっていいじゃないか」
これらは本当に傷ついている人にとっては、なるほど有用なものかも知れない。しかしそうでない人にとっては単なる甘えの免罪符になる危険性を十分にはらんでいる。
彼の言葉は(おそらく)彼自身が厳しい境遇の中にあってこそ生まれた「赦し」の言葉であって*2、断じて「なまけてもよい」「傍若無人に生きればよい」という意味の惰弱な言葉ではない。
その上、たいして傷ついていないにも関わらずこれらの言葉達に癒される(振りをする)事によって、逆説的に「自分は傷ついている」事を証明する――つまり「私って可哀想」「俺って疲れてるなぁ」と思うための材料になるこの手の本というのは、社会にとって危険極まりない。
多くの人は自分は頑張っていると思いたいし、誰かに「もうこのくらいでいいよ」と許されたいだろう。しかしだからといって、それを書店で安易に求めるべきだろうか。
私が気に喰わないのは、「癒し」を「甘え」にすり変える人々の愚と、平積みの本ごときに「許し」を求める軟弱さだ。
こういう本に背中を押されなきゃ「俺は頑張ってるぞ!」と胸を張って言えない時点で、既に自分が納得いくまで頑張ってない事の証明だろ?
では、仮に私が憤慨しているのが全くの思い込みで、正当な需要があってこれらの本が売れていると考えるとどうだろう。正当な需要があるという事はつまり、それだけ本当に傷つき、打ちのめされている人が多いという事だ。常に本屋という(病院に比べて)アプローチしやすい場所の一区画を占めなければならないほどに、世の中には傷ついている人があふれ返っているという事だ。
もし現代がそうだとしたら、それはそれで恐ろしくて仕方が無い。
- 余談
もちろん、悪いのは「癒し」を安易に商品化する/消費する根性で、あいだみつを自身じゃないんだけどね。
- 余談2
結局マンガの話になっちゃうけど、俺にとっては安西先生(スラムダンク)の
「諦めたらそこで試合終了だよ」
の方がよっぽど癒されるなあ。